九寨溝から成都に戻ってきて、翌日。ついにこの旅行の最終日を迎えました。もう帰り支度。午前に少し観光をするとはいえ、午後には北京、夜には日本に着いているという、実にあわただしいスケジュールが待っていて、でもまあ充実しているともいえますね。最後の最後、時間いっぱいを使って、観光のスケジュールを組んでくださったわけで、それはもう本当にありがたいこと。ガイドの牟さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
目を覚ましたのは、同室のふたりが朝食に出ようと支度をする、その物音によってでした。昨夜、一番遅くまで起きていた私は、一番遅く起きたわけですね。先に食堂にいくというふたりを見送って、しかしいつまでもぐずぐず寝ているわけにはいきません。ぱっと起き出して、着替え、歯磨きなどの身支度ととのえ、食事を済ませたらすぐに出発できるようざっと片付けをして、遅ればせながら、食堂へ向かうのでした。おおっと、カメラを忘れてはいけません。朝食にはこいつが必要不可欠です。
このホテルについては、もうほとんどまったくといっていいくらいに覚えていません。結構豪華できれいなホテルであったことは覚えています。室内には、果物を盛った皿があったり、それから花も飾られていたりして、だから実際のところ、いいホテルではあったのでしょう。でも、なにせ滞在時間が短かすぎました。ホテルに着いてからしたことといえば、寝るくらい。翌朝、すなわち今日になっても、身支度、朝食、それでチェックアウト。本当にあわただしい、本当にただ泊っただけといった状況であったのでした。
起床は七時過ぎ。ホテルの廊下を歩けば、清掃作業中であったりもする、そんな時間でした。清掃中の看板がかわいかったので、写真を撮りました。最近はどこにいってもピクトグラムが工夫されているから、わかりやすくていいですね。
食堂にいって驚いたのが、その豪華なこと。照明の落とされた朝の食堂は全体に薄暗く、しかしそれは雰囲気を作るためなのでしょう。食堂の中央には噴水が、壁面には建物を模したのでしょうか、お屋敷を外から見たようになっていて、そしてステージにはピアノ。すごいなあ。あくまでも屋内でありながら、お屋敷の庭といった風情をかもしだしていて、あるいはあの建物は実際にあったものとかを利用しているとかなのでしょうか。おそらくはこの内装として作られたものかと思うのですが、しかし驚く凝りようであります。可能なら、ここでの夕食の光景、それも見てみたかったなあ、なんて思うほどでした。
食堂の中程、噴水を越えて少しいったあたりに、同行の人たちの姿を見付けて、私も合流しました。みなさんの食卓を見ると、ずいぶん簡素になっていて、それはもう疲れてしまっているからでしょうね。実際、体調を崩している人は多かった。特に男性に多かった。ひとりは酒の飲みすぎだと思うのだけど、ひとりは食事があわなかった、もうひとりは疲労なのか、あるいは風邪でもひいたのか、とにかく体調が悪いといいます。結果的に、一番体力がなさそうで、山でへばった私が一番元気だったというおかしなことになって、これは実に不思議なことでありました。
そして、食が細っているのは私にしても同じでした。
自分の食べたいものをなんでもとってきて、食べればいい。そんな状況で私の選んだものは、粥、野菜、果物、寒天? 腹にたまらないもの、あっさりしたものばかりで、それ以外のもの、包子の類や肉、卵などの動物性の食品などは受け付けそうにありませんでした。
けれど、食べなければ元気が出ないでしょう。それはおそらくみなわかっていたと思います。それであえて食べなかったのは、今日のこの一日を乗り越えればもう日本だからでしょう。へばっても大丈夫。うちにさえ帰りつければ。その腹があったから、あえて無理に食べることをしなかったのでした。
今日は日本に帰る日。午前のうちには成都を離れて北京入り、そして日本に向かう予定になっています。しかし、わずかにあいた時間がある。その隙間を利用して杜甫草堂を観光する予定です。本当は、昨日のうちに杜甫草堂も見ておくはずだったんだそうですが、時間の都合で今日いくこととなりました。午前のすきま時間は、こうした予定の変更を吸収するためのマージンとして用意されたものだったのかも知れませんね。
そして、マージンは行程のそこかしこにそっとさしはさまれていた、そんなようにも思います。っていうのは、この旅行ですが、なにもかも時間どおりに運んだためしがなかったからで、それはひとえに参加者の自由さのためでしょう。時間に遅れることはもはや当たり前。途中で姿が消えて、探したこともありました。それでも大過なく行程を消化してこれたのは、マージン、余裕がもうけられていたからにほかならないでしょう。もちろん、旅行の企画や添乗をするような人にとっては当然の用心ではあるのでしょうけど、そうした用心をしてなおそれを狂わせかねない程の自由さを発揮した我々でしたから、いや、本当にうまく調整してくださったことに感謝します。
杜甫草堂は、その名前を見てもわかるように、中国の詩人、杜甫に関係する場所であります。かつてここに住んだのだというのですね。調べてみれば、759年から四年ほどここに暮らしたという話で、その家というのはもちろん現存していませんが、復元なのかイメージなのか、杜甫の住んだ家が作られて、往時を偲ばせる、そんな仕掛けもある、そんな場所となっています。
折悪しく、この日の成都は小雨の降る悪天候で、しかし濡れてしっとりと光る地面、薄曇の空からやわらかく注ぐ光線、こうしたいろいろが醸し出す雰囲気、それはこと杜甫草堂においては悪くないものであったと思われました。写真を撮るには望ましくはない、シャッタースピードがどうしても遅くなって、手振れしやすくなりますからね。けれど、できあがる写真には侘びがひと味そえられるようで、悪いばかりではありませんでした。
杜甫草堂の入り口をくぐると、そこは緑も豊かな、ちょっとした自然公園といった風情で、池があり、東屋があり、さらに進めば、寺院を思わせるような門、回廊、そして立派な建物。ここが特別な場所であると実感させてくれるだけのものがありました。俗ないいかたをすれば、貴重な観光資源であるのでしょう。ですが、ここは単なる観光地ではなく、地元の人にとっても大切な場所となっている。回廊のあちこちに、このあたりに暮らしている人でしょう、幾人もの姿を見掛けて、散歩をする人があれば、太極拳をしている人もあって、それもたくさんあって、四川成都の人たちの生活にこの場所が寄り添うようにともにあるということが偲ばれました。
しばらく進んだところで、杜甫の像に遭遇しました。
痩せ細った杜甫の姿。この像は、現代彫刻家が作ったという話でありましたっけ。写実ではなく、杜甫その人のイメージをかたちにあらわしたとでもいえばいいのでしょうか。簡略に表現された手、体、対して表情は深く沈思するような、そしてなにかを見据えるような、実に味のある像でありました。
そして、この像のあった建物から先を見越せば、そこにもまた建物があって、そこにもまた杜甫の像があるのでした。
その像とは、先程見たものとは実に対象的で、先程のが現代の表現とすれば、こちらのは近代的な、偉大な詩聖を称えようという意思の感じられるもので、また表現された杜甫の年代も違っています。先程のは老境の杜甫でしょう。しかし、こちらのものは壮年の杜甫、力強ささえ感じさせる、実に立派な胸像でした。
杜甫の像をふたつ見て、さらに進めば、これはかなり古いものらしいですが、石版に彫られた杜甫の肖像があって、はたしてこれらのどれが真実の杜甫に迫っているのか。それはもうさすがにわからないのでしょうね。なにしろ千年以上も前の人。写真なんてあるはずもなく、それに写実的な絵なんてのもあったのかどうか。だから像も肖像もどれも、想像で補いながら描かれたのでしょう。ですが、そのどれもが杜甫という人を、自分にとってそれが真実と思われるほどに引き寄せるようにして作りあげられたのでしょう。そのように思えば、それぞれの違いは、制作者がどのように杜甫を見ようとしたか、その違いであるわけで、そうした多面的にとらえられる杜甫という存在もまた面白いと感じられます。
回廊を通り抜けながら、杜甫の像を見、杜甫の肖像を見てきたわけですが、ここで一行は建物から離れて、ついに杜甫の暮らしたという草堂へと向かいました。もちろんこれが本物ということはないでしょう。レプリカ、復元であろうことはまずもって間違いないでしょう。またその復元の度合いもどれほどのものなのだろう。まったくもってわからないながらも、閑静とした建物、そのたたずまいはなかなかに悪くないものでありました。
まず私たちを出向かえたのは、門でした。質素、簡素な門。かやぶき? の小さな屋根のついた門構えは、偉容などという表現のそぐわない。親しみやすさを感じさせるものでありました。
そして、門をぬければ、そこに杜甫草堂、かつて杜甫の暮らした家があらわれます。
建物にはいると、薄暗く、土間には小さなかまどがあって、そして部屋の奥には簡素な寝台があって、狭く小さく、そんな家でした。これが、杜甫の生きていた時代の家なのでしょうか。ずいぶん素気なく感じられます。反面、ずいぶんしっかりしているとも思えます。これは杜甫が貧しいなりにある程度の収入基盤を持っていたからなのか、それともこれで標準だったのか、あるいは現実の杜甫の家よりも進んだ造りであるのか、そういったことは全然わかりませんけれど、冬は寒そうだな、そういう感想を持った、そんな家でありました。
杜甫の家を辞して、そしてみやげものを売る店へと移動しました。この移動のすみやかなるのは、草堂が見物するのにそれほど時間の必要なものではないということもあったのでしょうが、それとは別に今日の行程に余裕がなかったということもあったのだろうと思います。あんまりもたもたしてると、後が詰まって大変なことになる。それも最終日ですから、後の予定って飛行機ですよ。遅れたら、全員中国に残されて、呆然という流れが待っています。それは避けねばならんことです。
みやげもの店に私は期待していました。いや別に杜甫の大ファンであるとか、そういう点で期待していたわけではありません。実は元が余っていまして、なんとか使いきりたいなあって思っていました。それがきれいな札とかならまだしも、使い込まれたへなへなのお札でしたから、なおさら使って帰りたいと思っていて、そして買い物のチャンスといったら、この杜甫草堂が最後でしょう。みやげもの店には、きっと手頃な値段の小物があるはずだ、そう思っていたというのですね。
そして、その目論見は見事にあたりました。すごく無難な、いかにもみやげものといった、誰にあげても惜しくはないけど、誰がもらってもそんなに喜ばれることもなさそうな、そんな小物の数々。けれど、こういったものこそがみやげものの醍醐味であるともいえる、そのようにも思えて、こまごまとしたいかにもなみやげものから、どれがいいだろうと選ぶこともまた楽しいのでした。
私の選んだもの、それは手鏡でした。木製の、コンパクトのように開いて使うタイプの鏡です。木で作られていて、表に杜甫の肖像の描かれたもの、草堂の描かれたもの、数種類あって、草堂の描かれたものは裏面に杜甫の詩『春望』が入っていて、角型のものは行書で、丸みを帯びたものには隷書で書かれていて、国破れて山河あり、で始まる極めて有名なものですね。これならとにかく有名だから、おみやげにはちょうどいいだろうと、予算の許す限り買った。種類違いでみっつ求めたのでした。
しかし、これでも使いきれず、はんぱな額が残って、これどうしようかなあ。迷ったのだけど、ガイドの牟さんにちょっとお願いして、この手持ちでなにか買えないか、店の人に聞いてもらえませんかと、そうしたら価格の交渉をしてくださって、こちらのものならいくらまでまけますと、そういう話にしてくださって、そうして買ったのが小さな絵皿。陶器じゃないですね。てのひらにのるくらいの小さな皿で、そこに『江村』という詩が書かれている。字はどう見てもがたがたで、もとになるフォントの品質がよくなかったんだろうなと思わせるようなものだったのだけれども、けれどもなんだかその手にすることになった経過が印象深かったものだから、ちょっと忘れられない一品になりました。そして、もうこれで本当になにも買えないだろう、残った元を、持って帰っても使えないから、よかったら使ってくださいと、ほんのちょっぴりで申し訳ないんですけどと、お礼とともに牟さんに渡して、そうしたら喜んでくださって、そのことが私にとっても嬉しくて、本当に牟さんにはお世話になりました。迷惑もいっぱいかけたものなあ。
最初に買ったおみやげ。杜甫草堂の手鏡はこんな感じです。
そして、詩の書かれた皿。こうして写真にすると、ちょっといいものみたいに思えますが、本当にたいしたことのない、小さな飾り皿です。
杜甫の像や肖像も見た、草堂も訪れた、おみやげも買った。これで、もう本当に観光はおしまい。これから成都空港へ向かって、北京経由で日本へと帰ります。そしてこの時点で残り時間に余裕がなかったのですね。結構というか、かなりの急ぎ足でマイクロバスの待つ駐車場へと向かうことになりまして、いやあ、あまり長い旅行ではありませんでしたけど、そのわりにいろいろ見ることができた、本当に密度の高い数日であったと思います。この最終日のばたばたとしたところなんか、そのぎゅうぎゅうに行程つめこまれたということを実感させてくれるようでありました。
杜甫草堂を、ばたばたと急ぎ通り抜けていく。とはいっても、まったくなにもかも脇目もふらずに、といったこともまたなくて、途中途中、いろいろあちこちに気をとられて、写真撮ってみたり、感想いいあってみたり、それで置いていかれそうになって、慌てて追いかけたり。もう本当にばたばたして、けれどそれもまた楽しいものです。
そんな、撤退中に見た風景から、いくつかピックアップ。
この写真だけではいまいちなんだかわかりませんが、太極拳をされているのですね。いつもこの回廊の屋根の下でされているのか、あるいはその日はたまたま雨が降っていたからなのか、ともかくゆっくりゆったりとした動きで、太極拳をされている。こうした人は、あちこちにいらっしゃった。というのは、最初にも書きましたとおりです。
そして、木々に囲まれた池。
池のはたには建物も並んでいて、とてもいい雰囲気であったのですが、そこには魚の餌なんかも売っていて、一袋二元です。30円くらい? けど、魚に餌をやる余裕なんてあるわけもなく、だから池にどんな魚がいるのか、それはわからずじまいでした。
杜甫草堂の門につきました。これで、杜甫草堂ともお別れです。
門を出たところは、ちょっとした公園のようになっていて、そこでは太極拳の講習? グループでのレッスンのようなものがおこなわれていました。みな、その手に剣を持って、太極拳が剣を使うことは知っていましたが、こうしたレッスンで剣を使っているのを見るのははじめてだったので、ちょっと得した気分でありました。
以上で旅の行程はすべて終了。追い立てられるようにバスに乗り込んだ私たちは、空港目指して出発。最後の最後にはゆっくりさせてもらえず、だから本当ならもうちょっと寄って太極拳の練習風景など撮影したかったところであったのが、そうもいかず、このあたりは仕方がないとあきらめましょう。
そして、ほどなくして成都双流国際空港に到着しました。これから北京に向かって、乗り換え、帰国するという段取りでありますが、ここでちょっと待ち時間が発生したのでした。まず、ターミナルビルロビーで待機。手続きもろもろはガイド氏がやってくださるので、私らは暇を持て余して売店などを冷かして、小さな売店なので時間を潰すには向かなかったのですが、みやげものを見たり、また本ですね、ちょっと見たり、けれどなにも買わず、なにしろ読めそうな本なんてありませんから。しかたがないとベンチに座り込んで、人気の少ないロビーを眺めながら同行者と話などしていたのでした。
しばらくして、ガイド氏がやってきて、搭乗までの段取りや注意事項を説明しようとするのだけれど、ここでまたメンバーが全員揃っていない、揃わないという状況になって、もうみんな自由すぎって感じ。売店まで呼びにいったりして、そうして長く売店を見ていた人は、なにかこれというものを見付けたのでしょうかね。
売店から数人呼び戻して、メンバー全員揃ったことを確認して、そしてガイドさんからの説明。彼とはここでお別れです。空港の中までは入らない。牟さん、ありがとう。今までずいぶんお世話になりました。楽しい旅になったのは、あなたのおかげです。空港、搭乗ロビーに入ってからは、自分たちで行動しないといけません。大丈夫かな? いや、まあ、大丈夫だろう、みんないい大人だし。
搭乗ロビーへ向かう、その手続きをしながら、振り返って牟さんに挨拶。牟さんは、ずっと見送ってくださっていて、ありがたいですね。心配してらっしゃっただけかも知れませんが、そういう気持ちがありがたいと思います。本当によいガイドさんでした。
さて、搭乗の手続きも終わって、なにしろ手荷物検査とかね、もう既に九寨溝でうけてますから、その後一日で荷物が大量に増えましたなんて、まず考えられないわけで、ここはもう皆スムーズに通ることができました。私の心配していたマニ車も問題なく通過して、いや、やっぱりかたちがなんかまずそうでしょう。まさか没収なんてことはないでしょうが、足止めくって、荷物引っくり返してとか、もう面倒臭いじゃないですか。だから、スムーズに通過できて本当に安心したんです。
しかし、ここで待たされたのでした。一時間どころじゃない。二時間、三時間と待たされて、いったいどうしたんだろう。搭乗ロビーでは待つのは当然ですけど、さすがに時間ぎりぎりに飛び込むみたいな危険なまねはできませんから、けど余裕を見たにしてもあまりにも長すぎる。本来の搭乗時間とかどうなってるんだろう。聞いてみると、確かに遅れているらしく、しかし周囲を見てまわる余裕、気力、体力もないし、それにそんなに見てまわれるほどのものもないし。だから、みんなくたびれて座り込んでました。
疲れて座っているうちに寝てしまうこともあって、寝て起きて、ちょっと話して、まだかなって思う、その繰り返し。すぐそばにはマッサージチェアが置かれていて、ちょっと魅力的だったかも知れないのだけれども、15分10元という価格がわざわいしてか、誰も使っていないという。私に関しては、1元たりとも手持ちがないという状況、使いたくとも使えないといったありさまだったのですが、けれどもしお金があってもきっと使わなかったろうなと思います。
こうして延々待ち続けて、そして飛行機が到着。急かされるようにして乗り込んで、またものすごい勢いで出ていこうという、その慌ただしさ、それが私たちの置かれた状況を物語っているように思います。飛行機って、もっとなんかゆっくりしてるような気がするんだけどな。なんていっているうちに、北京いきの飛行機は離陸準備にはいって、これで成都とはおわかれです。
やけに慌ただしい、そう感じた搭乗でしたが、その慌ただしさは機内でも継続中の模様です。およそ二時間のフライトなのですが、離陸後、水平飛行に移ったと思ったら、機内食の配膳がはじまって、でもこれは普通の段取りなんでしょうね。どう考えても、遅れ気味のスケジュールを取り戻すために大急ぎで飛ばしている、なんてのはないだろうと思いますが、いや、どうなんだろう、そういうこともあるのかな?
さて、お楽しみの機内食ですよ。
ふたを開けてみると、メインはご飯に肉と野菜を炒めて餡掛けにしたの? そして野菜を油通ししたの? がのったもの。丼といった感じではないけれど、中華風おかずのっけご飯ってやつだと思います。そして小さなパンがついているのですが、なんか主食が多いなと思うのは私が日本人だから? どっちかが副菜なのかも知れません。そして、サラダがあって、果物があって、果物は瓜なのかな? ちょっと固めだったけど、そんなに悪くはありませんでした。
そんなにしっかりとした食事でなかったのは、そんなに長いフライトではなかったからかも知れません。そして、後でこのことに感謝するときがくるのですが、それはまた後の話。とりあえず、この時点での感想は、なんだか適当なご飯だなというものでした。いやね、日本の感覚で食べたからだと思うんですけど、あの餡掛け肉と野菜の炒め物、野菜がちょっと大きくて、それだけにしっかりとしすぎた食感で、うまくまとまった感じではなかったのでした。けど、これが中華料理ってやつなのかも知れません。それに、だいたい機内食ってやつが、間に合わせ感ただようものでありますし(そんなこといっちゃだめかも知れませんけど)。
食事を終えてしばらくすれば、もうじき北京といった具合で、しかしここからちょっと気が急きます。というのは、なんか乗り継ぎがぎりぎりなんだっていうんですね。今乗っている北京ゆきの便、これがだいたい遅れてる。北京に着いたら、大急ぎで大阪いきに乗らないといけないよ、ってそんな話。えー、乗り遅れたらどうなるんだ、って、多分旅行社がなんとかしてくれると思うんですけど、けどどうだとしても、トラブルみたいのはいやだなあ。乗り継ぎスムーズにいきますように、ちょっとそんなこと願ったのでした。
北京空港に到着して、もう気分はタイムトライアル。なんといっても時間がありません。それは機内ですでにわかっていたこと、それ以前に成都の時点でわかっていたことであったものだから、ここから先はこれまでみたいな自由な行動はつつしまなければなりません。明らかに、誰もが余裕を失っていて、見るからにいらいらと、気が急いているとわかる、そんな表情をしていました。
しかし、どんなに気が急いたとしても、待たないといけないことがある。それが飛行機というやつです。そう、荷物ですよ。昨日、成都空港で、右往左往させられた、あの体験がよみがえります。待てども一向に出てこない荷物。今回もそんなことになったらどうしよう。いや、なんのかんのいっても、首都の大空港、そんなことはないに違いない、ないといってくれ、そんな気持ちで待ったのでした。
今回の旅行に関しては、私はスーツケースは持たず、バックパック、リュックひとつの気楽な格好であった、つまりここで荷物を待つ必要はなかったのですが、しかしひとり旅しているわけではないわけで、他の皆が荷物を待つ、それに付き合わなくてはなりません。はたして、荷物は出てくるのか。いったいいつ出てくるのか。その出てくるタイミング如何で、次の行動が変わってくる。その鍵となる荷物を、ただただ待つ。それは実にいやな時間であります。
ベルトコンベアーが動き出して、待ち構えていた人の輪が次々と流れてくる荷物へと押し寄せて、もう一刻でも早く自分の荷物を見付けて、次へと移動したい。そうした思いがありありと見てとれるほどでありました。そして私たち一行の荷物も揃っていって、全員分揃った? 揃った! となれば、もう脇目も振らずに出立。この時、私の両手にはトランク。これは、年配の女性、ほら八十歳の方とかいらっしゃいましたから、それからもっと若いのだけど、けれど年配の女性、その荷物ですね。とにかく走らないといけない、それくらいの状況、御婦人がたに重い荷物を持たせるなんてことできるわけないじゃないですか。
走る、空港内を走る。手に大荷物。両方に持つことでなんとかバランスをとりながら急ぐのですが、いや、本当にそんなに大きすぎる荷物でなくてよかった。だって、あんまりに重いと走るどころではありませんから。また、年配の方がいらっしゃるから、全力疾走が求められるということもない。そこそこに急いで、そこそこに休んで。けど、それでも結構大変でした。あの時、あんだけがんばれたのは、乗るべき便に乗り遅れるのは避けたいという一心からだったのでしょうね。
北京空港を駆け抜ける、その最中、複数の時計並べて時間を表示するパネルがあったので、これは今の北京の時刻を記録するのにうってつけだと写真を撮ったのです。
そうしたら、もうがっかり。きっちり立ち止まって、きっちり撮ったつもりだったのが、露出はオーバーだし、手ぶれは酷いしで、いったい何時なんだかわかったもんじゃないという写真になっちゃって、逆にどれだけ余裕がなかったかわかる、そんな絵になってしまいました。
写真に記録されたデータを見ると、この写真の撮られた時刻は17時ちょうど。ということは、北京時間で16時ってところでしょうか。北京から日本までは、飛行機で三時間程度、日本に着いたら20時を少しまわるくらいか。まあ、途中途中に待ち時間はあるだろうし、それにこれから荷物検査やらなにやらあるし、ああもう、大忙しだぞ。とにかく、ここで予定の便に乗って、関空からは電車で帰ることになってるんだから、急がなくてはならない。立ち止まっている暇などないのでありました。
もうすぐ出てしまう。ぎりぎりの時間に飛び込むようにして乗らないと、きっと間に合わない。そんな予感がひしひしとする北京空港。しかし、私には少し心配なことがありました。それは、マニ車です。手荷物検査、X線で見たそのシルエット、それが手榴弾に見えてしまうのではないか。ちょっと待って、荷物あらためさせてとなったら、搭乗に間に合わないかも知れない。それは、それはなんとしても避けたい。はらはらしながら、手荷物検査の行列に並ぶ。それは、実に嫌な時間でありました。
この並んでいる間に聞いた気になる情報は、どうも飛行機の空席がないとかなんとか。ダブルブッキングかなにかが発生していて、エコノミーに席がないとかいうような話がはいってきていたらしいのです。でも、それでもなんとしても乗らないといけない。チケットは買ってある。だから乗っちまえばこっちのもんです。というか、乗れなかったら終わる。運がよかったら、席のランクがあがるかもね、みたいなこといって笑っていたんですが、けれどそれを狙って搭乗を遅らせるような考えはさすがにおこしませんでした。とにかく、どんどんずんずん先を争うように進め。ほんの少しでもいいから、はやく乗る。それが至上命令でありました。
そして、なだれこむようにして手荷物検査。荷物をどんとベルトコンベアーに乗せて、小物もざーっとトレイにあけて、そしてむしり取るようにして脱出。うお、こんな乱暴な検査の突破、はじめてだ。とにかく次の搭乗が押しているんだ、その一点で、向こうにうんといわせてしまう。いや、私がやったんじゃないよ。同行の中国語の先生が、まくしたてるように状況を説明してくれて、いや、助かりました。というか、こういう押しの強さがないといけないな。本気でそんなことを思う一瞬でありました。
手荷物検査を突破して、それからいったいどういう経路をへたものか、気付けばもう機内だったような気がします。ちょっと期待した席の昇格ですが、いやあ、残念というか、あるいはよかったというべきか、ちゃんと席は残ってまして、規定通りのエコノミーに案内されました。席に着いて、手荷物等棚に押し込んで、着席、ベルトなどしめていたら、あわただしくどやどやと乗り込んでくる団体があって、ああ、もしかしたら席の足りないグループかも知れない。彼らがどうなったのかはわかりません。まあ、少なくともちゃんと席は用意された、それだけは間違いのないことかと思います。
あわただしい、そうした雰囲気が収まらないうちに、飛行機はいよいよ離陸といった雰囲気を強めていって、実際、私たちが乗り込んだ時点で、ずいぶん押していた、予定の時間よりも遅れていた模様です。搭乗する予定の乗客が揃う、そのぎりぎりまで待っていたということでしょうか。飛行機は待たない、待てないといいますから、実際には特に遅れが出ているということもなかったのかも知れませんが、しかしそれでもぎりぎりのタイミングであったのは間違いのないことかと思われます。
日本に帰る機内は、もうみんな疲れちゃってるから静かなもので、搭乗の際に新聞など貰う余裕さえなかったものだから、読むもの見るものもなくって、なんだかぼそぼそとしゃべっては休んでの繰り返し。そんな様子でありました。駆け足での観光、それも半分は高山でしたし、そして最後の駆け足。これがとどめでしたね。もうぐったりです。
ほどなくして機内食が出まして、けれどついさっき食べたところだし、なんだかあまり食欲もありません。実際のところは、結構な時間がたっているんです。成都から北京に向かう機内でとった昼食は、午後1時半っていうところ。そして今とろうとしている夕食、その時間は午後6時。ちょっと早いかも知れないけれど、いや、普通ですね、普通。それを、ちょっと早すぎると感じてしまったのは、食滞してしまっていたから、なのかと思います。
けれど、出れば食べます。
基本的な構成は、成都からの便で出たものに同じです。パンがある、ご飯がある。ご飯にはおかずが添えられていて、そして副菜、デザートもつきました。以上、こんな感じ。で、いいんですけど、パンがあってご飯があって、中国人にとっては、パンとご飯は共存可能なのかな。よく関西ではうどん定食を食べているとか、お好み焼きをおかずにご飯を食べるとかいって、他県の人からはおかしがられますが、このパンとご飯が揃ってでてくるのに違和感感じてる私は、お好み焼きとご飯に違和感を感じている人に似たものを味わっているのかも知れません。
しかし、この機内食、大味。大きな肉。濃い味。野菜もなんだか切って煮てそのままっていう感じで、まあ、手がかかってないといやだってことはないのですが、それにしてもちょっと荒っぽい感じはしないでもない。けれど、それで不味いということはなく、こんなもんかなっていう感じ。ケーキはすごく甘い。けど、それもそんなもんかなっていう感じ。実際、エコノミーの機内食という感じであったと思います。
かくして、日本へと帰りついたのでありました。着いた時、日本はすっかり夜。けれど、私はもう時間のどうこうがわからなくなってしまっていたから、これが遅いのか早いのかちっともわからなくて、だから、とにかく日本に着いた。無事旅を終えることができた。そう思うばかりでした。もちろん、まだこれから電車に乗らないといけない。けれど、それはもう日常につらなっている。関西空港におりて、そして大阪市内に向かうほどに、旅の情感というものは薄れていくに違いありません。
飛行機からおりて、皆は荷物をうけとりにいくのだけれど、私は荷物はリュックひとつ。身軽な身であったものだから、ここはお先に失礼します。飛行場から自宅まで送ってくれる、そんなサービスを皆さんお使いとのことですが、私は電車できて、電車で帰るので、あまり時間はとられたくない。そうしたことはもう話してあったから、スムーズにお別れして、そしてひとり、人気のない関空を抜け、駅へと向かいます。
私が怖れていたこと、それは終電に間に合うだろうか、その一点でした。時間も確認せず、挨拶だけして駅に急いだのも、一本でも早い電車に乗りたい。ここで終電でなくとも、大阪で終電とかなったら最悪。それは避けたい。そういう気持ちがあったのです。
けれど、どうやらそれは大丈夫そう。特急には乗りません。あくまでも快速を利用するのですが、これを見るかぎり、まだまだ便はありそうです。それに時間の余裕もある。これなら、そんなに慌てる必要もなかったな。そう思いながら、日本についたよと家族に連絡すべく、電話を探したのでした。
ホームを少し歩いて、公衆電話を見付けて、薄暗い中、テレホンカード取り出し、家に電話。ほどなくして、家族が出て、帰国したこと、今、駅にいること、そしてこれから帰ると告げて、電話を切って、そして発車を待つ関空快速に乗り込みました。
旅の雰囲気などというものは、大阪に近付くほどに薄れていって、それはもう夢が醒めるよりもはやく日常に回帰していく、といった具合でした。特に、天王寺での乗り換え、これは決定打。もう、まったく普通の日常といった感じを取り戻させて、大阪についたころには、ああ旅をしてきたんだなどという感傷さえも拭いさられておりました。
行きとは逆に順路を辿ります。ヨドバシカメラ前、夜の大通りを眺めながら、阪急梅田駅に向かう。こんな時間にこんなところを通ることはほとんどないので、わずかに新鮮さを感じて、しかし夜も遅くなれば人通りも少なく、なにやらさみしげです。
阪急駅構内にはいれば、もう完全にいつもの生活圏。駅ともなれば、人の姿も見えて、賑やかとまではいわないまでも、さみしげな感じは払拭されます。しかし、時刻は午後11時を目前として、まだ終電には間があるけれど、家に帰りつくころには日付けが変わってしまっているだろう、そんな時間でありました。
かくして、私は乗り場に向かい、かくして私の中国旅行は終わったのでありました。
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