『サイダースファンクラブ』の2巻にはホームページネタが数本掲載されている。それを読んで私は、そうそうそんな感じとひとしきり笑っていたのだが、けれどしばらくして落ち着いて思い直したのだった。そういう状況というのはやはりまずいのではないか。
そのネタというのはこんな感じだ。さえない女子スリーピースバンド・サイダースの公式サイトに設置されたメンバーBlog。サイトの目玉であるそのBlogは毎日更新を売りにしていて、メンバーはなにか刺戟を受けるたびにBlogのネタをゲットだと喜ぶのだが、落ちでは最近いい詞も曲も浮かばないとスランプを口にする。これを読んで、私は我が意を得たりと思った。ここ数年、口にはせずとも思い続けていたことがこの四コマには凝縮されている。
四コマに付されたサブタイトルは「本業おろそか」。私にはおろそかにして困るような本業などはないけれど、いずれ本業にしたいと思っているものがないわけでもなく、そこに打ち込む必要があるとわかっていながら、それをやっていない。まずいまずいと思っていた問題が、わずか四コマで明らかにされたわけだ。
詞にせよ曲にせよあるいは文章にせよ、思うところが凝集されてかたちをなすようなものはすべて、その表現の根本に強い衝動やなにかを隠しているのではないだろうか。どんなことだっていい。自分の中でゆるがせにできないなにかをいいたいと思う気持ちがあって、それがある一定以上の内圧を持って噴出させられたときに、作品となるのだと思う。だから本当は状況が不自由であればあるだけいいのだ。発言の自由度が低いほど表現は強くなるのだと思う。しかし、私のように毎日更新なんてことをしている人間は、始終ガス抜きをしているようなものだから内圧の高まる暇なんてない。
こととねは試しにこの一年ほど休止してみることにしました。休めばなにができるわけでもないだろうけれど、けれど今よりもきっとましなものになると思う。帰れる場所としてサイト自体は残しておこうと思っている。この帰れる場所があるという安心感、背水の陣を敷こうとしない逃げの態度が失敗に繋がるかも知れないが、それは結果論だろう。この場に愛着がないでもないのだ。再びなにかをいいたくなったときには、更新のされることもあろう。あるいはなにか結果がここで明らかにされることもあるかも知れない。その日をお待ちいただきたく思い文章を終わる。