トイレマップあるいは善意と余裕

今日、帰り、入院中の人のための本でも探してやろうと思って寄った古書店にて、突然トイレにいきたくなったのでした。やあ、参ったな。さてどうするか。最寄りの自由に使えるトイレはどこだったか、脳裏にざっと地図を広げてその候補をあげていったのでした。

私はこういうことがまれにあるので、日頃うろついている範囲に関しては、自由に使えるトイレの位置をチェックしてあって、転ばぬ先の杖、いつか困るときのためのトイレマップです。

一番便利がよさそうに思ったのがスーパーマーケットのトイレで、ここは階段の踊り場にトイレがあるんですが、一二階の間のトイレでは少年がそわそわと扉を叩いていて、ここで私はひとつの決断に迫られたわけです。少年よ、一階上を目指せ。しかしその時、私には余裕がなかった。少年への忠告よりも、自分の身を守る必要があった。かくして私は一階のぼったのでありました。

少年はどうしたろうと降り際にトイレによってみれば、とりわけ問題は発生しなかったようで、いやはやよかったな少年。しかし、人間、善意を発揮するには余裕がないといかん。しかし、その余裕のない状況でも発揮できるものこそが本当の善意ではないのか(いや、それは間違ったヒロイズムだよな)。などと思った夕べでした。

(初出:2006年6月18日)


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公開日:2007.01.12
最終更新日:2007.01.12
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