著作権の保護期間延長に関する議論が花盛り。賛成反対それぞれあるはずなのに、目にするのは圧倒的に反対意見ばかりで、しかしこれは私が偏っているためだろう。そう、私は延長に反対。保護期間延長により得られるものがあれば失うものもあるはずで、私には損失の方が多いと感じられるものだから、これ以上の延長はいらない。現行の五十年で充分と、いや充分以上であろうと考えている。
けれど、今日はそういうことをいいたいんじゃない。もっとくだらないことを話すつもりだ。
延長賛成の意見を見ると、インセンティブという言葉が鍵になっているようだ。インセンティブは誘因とでも訳したらいいのだろうか、制作しようという気持ちにさせる誘因だ。保護期間は長ければ長いほど創作意欲を奮い起こさせるという理屈である。これは確かにあるのかも知れない。かわいい我が子のためにお父さんお母さんは頑張るよという気持ちになることはあるかも知れない。しかし私は懐疑的だ。死後にまでわたる権利の保護が、こと創作意欲に結びつくとはどうしても思えない。
私の場合はむしろこうだ。もう収入がなくなるよ、明日のご飯はどうするよといわれて初めて、ああ仕事しなくちゃという気持ちになる。論文を書いてみて思い知った。私は締め切りがないと書けない。どん詰まりのデッドラインが目の前にちらついてようやく、さあ書くぞという気持ちになる人間もいるのだ。
もし私が一発あてたら、きっとその財産を食いつぶしながら残り余生を繋ぐだろう。実際、過去の栄光にしがみつくことばかりに一生懸命で、才気も冴えも見せなくなったような作家はそこかしこにあるじゃないか。時経て栄華はすっかり褪せて、気付かぬは本人ばかり。そうした醜態をさらす人はいるじゃないか。こうした作家を見るたび私は、ああ遺産食いの境地に入られたと寂しく思ってきて、かくて過ぎた平安が意欲をすりつぶすことは確かにあると思われる。