学びもせず変わりもしない

 アメリカで銃乱射事件があったという知らせを聞いて、陰鬱な気分になった。死者三十二名。史上最悪の事件であったとニュースは報じているが、アメリカは過去にこうした悲惨な事件を何度も経験しているのに、一向に銃火器の所持を規制する方向には向かわない。今回の事件にしても、一時的には銃社会を批判するのだろうが、それでも銃を規制するまでにはいたらないだろうと予測がつく。ああ、なんて愚かなアメリカ。なぜあなた方は過去に学ぼうとしないのか。

 しかし他国についてどういういえた義理ではなかった。日本でも銃がらみの事件が起こっていた。長崎市長が狙撃されて心肺停止とのこと。またもや陰鬱な思いに沈む。しかしこのテロルは一体なんだろう。政治活動、表現活動、思想、良心、自由、そういったものを暴力や恐怖でもって屈服させようという事案はそれこそ昔から数えきれないほどあったわけだけれども、今、この時代になってもなおそうしたことは続くのか。我々はそうしたことの空しさを嫌というほど知っているはずと思っていたのに、対話を拒み暴力に訴えるという無思慮、無秩序、断絶、不寛容、ディスコミュニケーションはやまない。この、あまりに馬鹿馬鹿しいと思えることの繰り返される様を目の当たりにして、それでも我々は自分たちの社会から愚かしさを拭う手だてを持つことはかなわないのだろうか。

 壊すこと、失うことはあまりにも簡単だが、積み上げること、育てることは難しい、手間も時間もかかる。しかし我々は過去綿々とその積み重ねを続けてきて、それは文化であり、思想であり、理想であり、そして寛容の精神であり、理性として結実したものどもだ。誰もがその積み上げ育てるものでありたいという思いを少なからず持っているはずだのに、けれどそれでも積み上げられたもの育てられたものを毀損しようとする諸力の絶えることはない。

 あまりにも空しすぎる。絶え得ぬほどに悲しすぎる。


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公開日:2007.04.17
最終更新日:2007.04.17
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