小学生の女の子がいじめを苦にして自殺した痛ましい事件。教育委員会の対応の異常さもあれですが、このニュースを流す際、テレビは女の子の遺影をどうしても流したいらしく、けれど人権保護をする必要があるから全面モザイク処理を施している。
正直、そこまでして「遺影」というショッキングな映像を流したいのかといやーな気持ちになります。そうした映像を使わなくても、事件の問題に踏み込むことは可能なはずだと考えるのですが、それをショッキングな映像で目を引こうとすることで、核心からはずれた、ただのセンセーショナル報道に堕してしまっていると、そんな風に思われて仕方ありません。
テレビは視聴率をとることを至上命題として動いているといいますが、本当に視聴者はああした映像をみたいと思っているのでしょうか。思っているのかも知れませんね。けど、そうは思っていない人も少なからずあるはずだと思っています。
(初出:2006年10月14日)
映像の時代って感じでしょうか。一瞬のインパクトが熟慮を上回って意味を持つなら、我々が数千年をかけて築き上げてきたこの文明の意味とはなんだったんだろうって思いますね。とかいいながら、どうせこの数千年も常に熟慮を一瞬のインパクトが上回り続けていたに違いないんですが。
でも、もうちょっと考えて欲しいと思います。ほら、こないだの裸画像流出の事件にしても、日刊ゲンダイは顔と性器にモザイク入れて写真を出したっていうでしょう。あれ、写っているのは市井の一個人であるわけですが、いくら顔を隠したとしてもこれはまずいんじゃないのか、それも大きなメディアがやるのは問題じゃないのかなんて思うんですが、でも多分こういう疑問はもうどこにも届かないんでしょうね。
記事に寄せられたコメントのうち、自分の書いたもののみを転載しました。