私は昼の休みに、職場のガレージでギター弾いたり歌ったりしているわけですが、これが割合好評であるのはいいとして、けれどなかにはやはり面白くないと思っている人がいるようです。
私の働いているところの建物に入っている別の事務所、そこの女性がどうも私のことを嫌っているようでしてね、なんというか折り合いが悪い。これはギターを弾きはじめる前からのことで、別にけんかしたりするわけではないのだけれども、会釈しても無視されるとかね。共同のごみ捨て場の使い方がまずければ、証拠もないのにうちの事務所のせいにするとかね。まあ、それは別にどうでもいい。いや、実際に当時のやり取りも因縁にはなってるんだろうけど、まあそれはどうでもいい。
しかし、なんであの人は私のこといやに思うのか。これから先は憶測ですが、おそらくあの人は「自分を普通と思っている」タイプの人で、私のような変わり者の存在がただそれだけで気にくわないのでしょう。インターネット上でのことだけど、モヒカン族とムラ社会の対立構造のたとえがありますが、あれは実に秀逸で、私はモヒカン族で、彼女はムラの人間であるわけです。ネット上ではモヒカン族はある種の勢力を保っていますが、実際の地上はやはりムラ社会優勢です。そして、ムラの構成員は、ムラ内部の空気を読み同調することには熱心ですが、ムラの外部に存在する異文化に対しては対立的で、できれば排斥したいものだと思っている。まあ、言い過ぎかも知れませんが、私のようにムラの内部に入れなかった人間、彼らに同調することが難しい、あるいは苦痛意外のなにものでもなかったという人間にはわかってもらえるかも知れない。私が、「自らを普通と思って疑わない人は始末に負えない」というのは、これまでに散々そうした「無邪気な」人たちから排斥されてきたからです。私という人間を直截に見るのではなく、なんらかの「異質である」カテゴリーに押し込めもろともに排除する。私がここまでひねたのは、なにももとからそういう性格だったからではなく、ひねさせるだけの環境あってのことなのですよ。
さて、上記のこと、妄想なんじゃないの? 考えすぎなんじゃないの? なんて思う人もいらっしゃるかも知れませんね。私もそう考えないでもないから、普段はこういうことを思っても、口にはしないようにしています。けどさ、件の女性ですが、私の身分をかぎ回っていましてね、いや、今日、帰りしなに見ちゃった聞いちゃったんですが、おいおい、本人が後ろにいるってば、まあそのまま帰っちゃいましたが、しかしあの人はどれほど私のことが煙たいのだろう。文句があるなら直にいやいいじゃんか。しかし、こうしたことはこれまでにもいやというほど経験してきたことだけれど、悪意を向けられることにはいくつになっても慣れません。
というか、次の出勤日、どうしたものか。知らぬふりをするか、それともなにを聞かれたか探ってみるか。いずれにせよ、こうしたことのあるたびに、私はその場を捨てたくなる。そうした人はどこにだっているから、それこそ人の世を捨てたくなる。とかくに人の世は住みにくい。けれど漱石もいうように、
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
まあ、こりずにブルースでも歌うとするさ。
(2007年10月31日)
いや、相手は大概おばさんだから。年上の女性も割合好きな私だけれど、あの人はないわ。年齢がじゃなくて、人間の料簡が。
中学の頃ですか! 私はおっさんになってもこんなあほみたいな問題を引き摺っています。
よく、人生やり直せるならいつに戻りたい? なんて質問があったりしますが、大抵の人は学生時代って答えるそうですが、私に関してはそれはないわといつもいつも思います。戻る!? この糞のような人生をさらにもっぺんたどれっていうの? それ、どんな罰ゲームよ!?
学生時代に戻りたくないのは、あの閉塞感、すごくいやだった。悪意やらひそみが、狭く風通しの悪い教室内に渦巻いてた。最悪でした。小学校にも、中学校にも、高校にも、大学でさえも、戻りたいとは思いません。
ああ、ごめん。なんかシリアスぶっちゃってやあね。軽く聞き流してつかあさい。
理由は昨日の日記。意外と私はこういうので引っかかっちゃうのよ。
(2007年10月31日)
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