アメリカの大学で銃乱射事件があったという知らせを聞いて、陰鬱な気分に。アメリカはこうした事件を何度も経験しているのに、一向に銃火器の所持を規制する方向には向かわず、そして今回の事件も銃社会を批判しつつもそれでも銃を規制することはできないんだろうなと、そんなことを思っていました。
けど、帰ってきたら日本でも銃がらみの事件が起こっていて、長崎市長が狙撃されて心肺停止とのこと。またもや陰鬱に。しかしこのテロルは一体なんだろう。政治活動、表現活動を暴力や恐怖でもって屈服させようという事案はそれこそ昔から数えきれないほどあったわけだけれども、我々はそうした空しい断絶、不寛容、ディスコミュニケーションの繰り返しを停める手だてを持つことはできないのだろうか。
壊すこと、失うことはあまりにも簡単だけど、積み上げること、育てることは難しい、手間も時間もかかる。我々は、誰もがその積み上げ育てるものになりたいという思いを少なからず持っているはずだのに、けれどそれでも積み上げられたもの育てられたものを毀損しようとする諸力は絶えない。
あまりにも空しすぎる。絶え得ぬほどに悲しすぎる。
(初出:2007年4月17日)
長崎市長の事件、政治的なものかと思っていたら、怨恨だったみたいですね。けど、いずれにせよ嫌な話ですよ。役所なんてのは利害がからむところもあるから、いらぬ恨みを買ったりはあるんでしょうね。
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