大阪大学計算統計物理学の教授菊池誠氏はテルミン奏者としても知られています。その氏が演奏をするイヴェントが大阪大学は21世紀懐徳堂であるということを知って、面白そう、いってみることにしました。
このイヴェントはレクチャーコンサート、演奏がありそしてテルミンについてのレクチャーがある、オーソドックスなものであったと思います。会場にはテルミンが三台、そのうちの一台はBigBriar Series91という珍しいものであるのだそうです。1991年に作られたモデルであるそうで、RCAテルミンの復刻であるとのこと。ただし、中身はずっとモダンで、今回の演奏でも使われたモダンテルミンであるEtherwaveよりもずっと進んでいるとのことです。RCAテルミンは真空管を使っていたそうですが、Series91には使われていない。見た目はクラシカル、中身はモダン。面白いものだと思います。なお、この知識は当日菊池さんから教わったものです。
演奏は安藤さんがクラシック曲を、児嶋さん、菊池さんがモダン、というか持ち曲というべきでしょうかね、を演奏して、現代におけるテルミンのありかたをうまく紹介していました。私の演奏する楽器、ギターやサックスでもそうですけど、クラシックジャンルにおけるギターやサックスがあり、同時に現代のギターやサックスもあり、どちらも欠いてはいけない重要な要素であるんです。それはテルミンにおいても同様なのでしょう。ことテルミンが紹介されるときには、クラシック曲が演奏されることが多く、サン=サーンスの『白鳥』などはクラシックギターにおける『禁じられた遊び』のポジションであるともいえる、それくらいにポピュラーなものとなっていますが、それ以外にもテルミンの演奏される機会はある、そうしたことがよくわかる構成であったと思います。
安藤さんの使う楽器は、BigBriar Series91。これはスピーカーも内蔵しているので、いわばピュアなテルミンの音が聴ける楽器です。対して児嶋さん、菊池さんのEtherwaveは外部アンプを必要とする楽器で、そのためテルミンとアンプの間にエフェクタを挟むことも可能となります。エコー、リバーブなどで一味加えることも可能なら、テルミン二台の掛け合いにループ・マシンを使うことで、重層的な響きを作るといったことも可能です。実際ループを効果的に使った作品なども披露されて、それをもって前衛的ということはさすがにもうできないけれど、多様な試み、可能性を感じさせてくれるところなどは非常に面白かったです。
レクチャーは、あまり形式ばったものではなく、OOoを用いたスライドショーも用意されていたのですが、ただスライドを流すだけというようなことはせず、あくまでもスライドは補助、基本にはトークと実演で進行していくものでした。トークの内容も、堅苦しさはまるでなく、実に親しみ深いもの。テルミンを作ったレフ・テルミンについて説明し、どういう風にテルミンが使われてきたか、当初は映画音楽などで使われていたもののシンセサイザーに取って代わられ、その後レッド・ツェッペリンが使ったことから、ポピュラー音楽の領域での活躍が増えたというような話がありました。そして、面白かったのは、日本におけるテルミン受容についてでしょう。テルミンが最も盛んな国というのは、他ならぬ日本であるのだそうです。さらに、学研の『大人の科学』、テルミンの号は二十万ほど出たらしいですが、その数は世界のテルミンの出荷台数のほとんどを占めるほどであるとかいう話です。Etherwaveが一万数千ほどでしたっけ? 世界でもっとも多くテルミンを出荷したメーカーは学研。世界で最もテルミンが普及している国は日本。なかなかに意外な事実でありました。
レクチャーの終わりには質疑応答の時間もあって、テルミンの奏法やチューニングについての解説、そしてテルミンは人体に限らず電気を通すものならなんでもに反応するという事実が説明されて、その最後の説明の際には、やおら取り上げた椅子の背もたれ、金属パイプの部分を使って音高を変化させるという、単純ながらも説得力のある実演がおこなわれました。これは見た目にも大げさで意外であったからか、ちょっと会場を沸かせました。
こんな具合に、レクチャー全体から当意即妙の息遣いが感じとられて、結果、場はなごみ、演者と観衆の距離もぐっと縮まったように思います。そしてそれは、レクチャーコンサートを終えてのテルミン体験において、観客の前に前に出ようという積極性に繋がったように思います。
テルミン体験は、コンサートとレクチャーがすんでから。つまり一番最後に設けられたのですが、ちょっと早めに着いていた私は、開演前に既に体験していたのでした。私にとって、はじめての経験となるボリュームアンテナ付きのテルミン。そのむずかしさにまいりながらも、この楽器特有の面白さに触れることができた。テルミンは、ちゃんと弾こうと思えばむずかしいけれど、音を出すということにかけては問題のない楽器です。なにせ、勝手に出てくれる。そして、うまく音程をとれないというそのことが、なおさらこの楽器を面白く感じさせてくれるのだと思います。うまく弾けないことが楽しい、うまく弾けると嬉しい。この、うまくいってもいかなくても面白いというところ、話題としてとりあげやすく、親しみやすいと思えるところが、テルミンの受け入れられる素地を作っているように感じます。
テルミン体験、開演前、ええとこれはなりゆきでなったもので、もともと予定にはなかったものであるのですが、学研から新しく出たテルミンPremiumと、それから菊池さんのEtherwaveを体験することができて、テルミンPremiumは一万円を切る低価格であれだけのものをと思わせる仕上がり、正直ちょっと欲しいと思わせるに充分な質を備えていると思えるものでありましたし、Etherwaveはいかにも本式のテルミンを今体験しているぞという気分になれて嬉しかった。けれど、これは慣れの問題であるとのことですが、右手でピッチを、左手でボリュームを変化させるという、その分担はすぐにはできるものではありません。実際私は左手は完全固定、ピッチだけに集中する作戦をとってみたところ、児嶋さんから顔が怖いですよというコメント。いや、表情になぞ意識を回している余裕はないです。
開演前の臨時テルミン体験に並んだ人はそれほどでなく、三名? 四名? それくらいであったのですが、レクチャー及びコンサートが終わってからの体験はもう大盛況。きっと皆うずうずしていたのでしょう。そもそもがテルミンに興味があってきた人たちです。ひとしきり聴いて、説明を受けて、自分も演奏してみたい。その触らずに弾くという楽器に触れてみたい、いや、触れることなく弾いてみたい、そういう思いからでしょう、どうぞ前へとなった途端に観客ほぼ全員が前に出て、奏者、安藤さんも児嶋さんも、楽器についての説明そして演奏しかたのアドバイスで大忙しで、挨拶、感想を伝えるのもちょっとできそうにないほどでした。この、皆のテルミンを体験したいという気持ちの強さこそが、このイヴェントがどれほどに刺激的で魅力的であったかの証拠であったように思います。
私はそんな中、もう充分に体験はしたんだからと、テルミンに寄るのは我慢して、菊池さんにコンタクトを求めたのでした。演奏についての感想、楽器について質問、そしてテスラコイルとの対決についてなどいろいろ話をして、実に気さくで、その親しみやすさが嬉しかった。ライブの情報の入手しかたについても聞いて、予定さえ合うようなら、また聴きにいきたいものだ。そんな風に思っていたら、ちょっと離れてこちらを伺っている女子ふたり。早く順番をまわさなければ。しかし、この人、人気あるなあ。
そして児嶋さんに挨拶して、テルミンの練習会などの案内うけて、帰り際に見たのが、親子でテルミンに接する、微笑ましい光景。子が弾いているところを親が写真にとって、とても楽しそうでした。この日のことは、楽しい思い出として記憶されるのかなあ。そのように思いながら会場を後にしたのでした。
このイヴェントでは、思いがけず触れることのできたものがあって、それはなにかというと、ひとつは学研のテルミンPremium。これは興味を持ってたんだけど、実物を知らないことには手を出しにくいとも思っていて、それを実際に操作してみる機会となって、本当にありがたかった。あれは買ってもいいな、そう思わせてくれました。
そしてもうひとつ、それはYAMAHAの電子楽器、TENORI-ON。興味を持ちながらも、触れられずにいたもの。それに実際に触れることがかなったのでした。
TENORI-ONは、もちろんこのイヴェントのメインではなく、聞けば音楽研究室? の備品であるのだそうです。パネルにボタンのずらりと並んで光る、それを見るだけではどこが楽器なのかわからない。さらに、どう演奏したものかわからない。けれど、説明を聞いて、ああそういう仕組みかと、理解したのでした。
四角に並べられたボタンを、左から右に移動していく光の列があって、それがいわばタクトです。その光の線が通過した時に、点灯しているボタンに応じた音が鳴る。音は、上が高く、下が低く、シーケンサーのピアノロール画面と思えばいいのでしょう。だから、簡単にミニマルミュージック的なループが作れる。さらには、トラックを切り替えて、複数のループを回すこともできるそうで、もちろん音色も変更できるから、見た目よりも高度な表現ができるらしい。けれど、今回はこういう楽器もありますと、テルミンと比較して紹介するくらいの目的で用意されていたようなので、そこまでの表現力が発揮されることはありませんでした。
けれど、レクチャーコンサートの始まる前、イヴェントを企画された方でしょうか、言語学の教授がこれをいたく気にいっていらっしゃるようで、鳴らしていらっしゃったのですが、それが結構いい感じのBGMとなっていまして、さらにこれに菊池さんが即興でテルミンを演奏して、セッションが成立してしまいました。TENORI-ONも交えた即興セッションは、レクチャーにてもおこなわれたのですが、それがまたいい雰囲気で進行してまして、ああ、これは自分もやってみたいと思わせるに充分な面白さでした。
実際私もTENORI-ONを触らせてもらっているのですが、その感触は、説明なしでとりあえず演奏可能になるという、それも結構様になるという敷居の低さでありました。おそらくはTENORI-ONを使えば、楽器の経験や音楽の知識がなくともセッションに参加できるだろう、そうした感じにさえさせてくれて、だから、音楽やりたし、楽器は弾けずという人はTENORI-ONを買うといいよ。本気でそんなこと思うくらいに簡単に、けれどそれらしくちゃんとした演奏が可能な楽器でありました。
そして、私はちょっとグレン・グールドのいっていたことを思い出しました。ピアニストである彼は、レコーディングの際に用いられる様々な編集のテクニック、音楽の断片を切り貼りすることでなされる音楽表現、それを一般聴衆に開放することで、聴衆がより能動的に音楽に参加できるようになる。テクロノジーが聴衆を間接的に創造的プロセスに参加するアーティストに変えるのだ、みたいなことをいっていたのです。残念ながら、こうしたキットとしての音楽はクラシック音楽のジャンルでは開花せず、サンプリング音楽やMIDI楽器等を用いたDTMのジャンルに見られた同様の動きにおいても、果たしてそれが一般の聴衆にまで浸透するほどであったかといえば、違うといわざるを得ないでしょう。テクノロジーが音楽への接近を簡単にしたとはいえど、テクノロジーを使う、そこに技術やノウハウが存在する以上、ある程度の習熟、敷居の高さというものは存在し続けていたといわねばなりません。
ですが、TENORI-ONは、その敷居を一気に引き下げる可能性を持っているように感じられて、なにしろ、音楽の知識がなくともセッションに参加できそうだ、そういう楽器です。点灯するボタンの並んだパネルをカンバスに見立てて、絵を描くようにしてもいい。そうしたゆるい制約は、創造的プロセスに参加できないと思っていた聴衆を、間接的にではなく、直接に、音楽の創造的プロセスに飛び込ませるきっかけを作るかも知れない。そんな風に思わせるものがあったのですね。
というわけで、私はちょっとKORG DS-10が欲しいかも知れません。TENORI-ONはちょっと手が出ないけど、これならなんとかって気になります。