抜歯を甘く考えていた。たかだか歯一本抜くだけの話。そう思っていたら、なんの、歯を抜いてから調子が悪い。もともと調子がよかったわけじゃない。しかし、抜歯後は体力はともかく気力が奮えない。だいたいにして、抜歯の日の午後は寝て過ごしたくらいじゃないか。一夜明けて、体の調子もよくなるかと思ったら、全体に疲れているような、ぐったりとした感覚がつきまとう。歯一本といっても、体の一部なのか。体の一部を失って、そして歯一本分の傷がついて、そう考えれば調子を崩すのも道理と思われる。その傷というのも、いわば骨に達するほどのものであるのだから、決して小さなものではないのだろう。
私は、自分の体というものをいい加減に考えている節がある。それこそ機械部品を取り替えるように、悪くなった部品を取り外すように、親不知を抜いてしまった。しかし、それはやはり私の一部であったのだ。これまで歯があったところにぽっかりと穴があいている。私は舌でその傷に触れ、えぐれた傷跡の下に次の歯の頭がかたく触れることを期待するのだが、もちろん抜いた歯は永久歯であるのだから、次などない。
たかだか歯一本。しかしそれは多少の喪失感をもたらして、ああなにも変わりやしない。そんなことはわかっているが、それでもなにか後戻りできない道を進んだのだという感傷が折に兆して、やはり私はすこし弱っているのだろう。食事はいつもどおり。痛みに悩まされることもなければ、ひどく腫れるというようなこともないというのに、体力は削がれ、ともない気力も失って、この状態に慣れて安定するまでは、こうした気分が続くのだろうか。
まあ、しかし悪いばかりではないかも知れない。あなどっていた身体というものに、今こうして存在感を示されて、多少のことで揺らぎ、弱る、生命というものをこんなにもありありと突き付けられて、うろたえながらでも、生々しく生きている自分を知る機会となった。