購読しているRSS、朝日新聞の記事に気になるものがあった。「ヤマハの管楽器生産、豊岡工場に統合 埼玉工場は閉鎖へ」。金融危機を発端とする不況のため、楽器の需要が低迷し、ともない生産規模を縮小することになったという話だ。
ショックだ。しかし、ショックを受けつつも、こうした動きのあるということに驚きはなかった。それは、楽器店の状況をおぼろげながらも感じているからだろう。楽器店をのぞくごとに、需要が冷え込んでいると実感させられる。手堅く売れるだろう定番商品に頼み、取り扱う点数を絞る店が増えた。これまで楽器がひしめくように展示されていたフロアが広く感じられる。それはいいようもなく寂しい光景だ。
一部ジャンルは、『けいおん!』という特需でなんとか持ち堪えたところもあったようだが、しかしそれも一時的な特例に過ぎず、ブームが去れば需要も落ち着いてしまう。あるいは、アコースティック楽器や管楽器といったブームに関与しなかったジャンルにおいては、むしろこのギター、ベース人気は、潜在的な需要を奪うものであったかも知れない。
ヤマハは非正規社員を削減すると決めたようだが、これ以上の人員削減は難しいだろう。楽器製作という、完全に機械化することができない産業において、人材を切り捨てることは技術の喪失でしかない。技術力の低下は競争力の低下を招き、また次代への技能継承を困難にする。技術が一度失われれば、再度取り戻すのに、膨大な手間、時間を必要とする。ヤマハはこの苦境を乗り越えてくれるだろうか。
問題はヤマハに限らない。多彩なメーカーそして小売店が、その個性をもって多様に展開している。そうした環境は、直接的なユーザーである奏者だけでなく、間接的なユーザーである聴衆にとっても、豊かさをもたらしてくれるものである。意識されることのなかった環境多様性。それらが失われる時、精神文化における貧困が立ち現れるだろう。