15年前に地下鉄にサリンがまかれるという事件があった。新聞でもテレビでも、あの時のことを振り返ろうとする記事、番組があって、それが刺激となったのだろう、あの宗教団体のことを思い出していた。
以下はその関連のtweetsである。Twitterでの発言は後から振り返りにくいので、ここにこうしてまとめておきたく思う。
地下鉄サリン事件のあの日、私は短大の卒業式に参加しており、その後追い出しコンパとでもいうのだろうか、大北京という中華料理屋に繰り出して、その帰りの電車内、新聞を読む人、その一面見出しに一瞬で酔いを冷ました。帰宅後ニュースで見た状況は想像以上で、現実とは思えないほどだった。
私とオウム真理教に接点はなかったが、彼らが私の生活圏に存在していたのは確かだった。日本橋の電気街にいくと、地下鉄駅前に「マハーポーシャ新聞」を配っている人間がいる。マハーポーシャはオウム真理教の経営するパソコンショップ。阪大生の事件の現場はここだったはずだ。
当時のバイト先には、コンピュータの専門学校や工学系学生がいたので、日本橋は身近だった。日本橋にいくと「マハーポーシャ新聞」を貰ってきて、皆で回覧するのがならわしだった。それくらい身近だったのだ。事件の翌日、あの馬鹿馬鹿しいと笑っていた新聞が、とてつもなく恐しいものに感じられた。
オウムの白服を実際に見たこともある。自宅最寄り駅前のこと、彼らがコンサートのチラシとチケットを配っていた。尊師作曲「シャンバラ・シャンバラ」という曲名は今も忘れていない。興味本位でいこうかと思ったが、結局はやめた。
オウム真理教コンサートにいこうかと迷った、それは会場が私も使ったことのあるホールで、構造や出入り可能な場所もろもろを知っていたから。しかし、そのすべてが信者に封鎖されてるかも知れないから、イベント終了後即座に離脱できないかも知れない。そうした心配からいくのをやめた。
オウム真理教コンサートは、地下鉄サリン事件の1年前くらい、いやもっと前だったか。そんなに前の話じゃなかった。もちろん彼ら末端の信者全員が、ポア思想に染まって、指示あらば殺人も辞さない、そうした人間ではないと思っている。しかし、組織団体としてはそうした性質を帯びている。ぞっとした。
事件後、オウムへの追求は強まって、検問や職質も増えたらしい。大学の同期が検問にひっかかってる。モデルガンを大量に後部座席に積んでいたため。彼は、自分は創価学会ですからといって解放されたらしい。無茶するといったら、数珠を見せてくれた。なんと、冗談抜きかよ。
細かいこと、噂や馬鹿馬鹿しいこと、いっぱいあったように思うが、詳細はほとんど覚えていない。けれど、絶対に忘れられないことがある。テレビの番組の話だ。
当時、新興宗教はブームだったんだろう。特に若い人の間で。とんねるずの『生でダラダラいかせて』だったと記憶している。大嫌いだったが、姉が見ていたので、私も見ていた。そこに松本智津夫(麻原彰晃)が出演したことがあった。
番組では、ちょっとおかしな新興宗教の教祖として、けれど扱いとしては、面白いおっさんといった感じで、客席からの質問に受け答えさせたりしていた。もちろん殺人集団だなんて思ってなかったからできたことだろう。
バラエティ番組への教祖出演。こうやってテレビが面白おかしく扱うことで、社会の彼らへの心理的ハードルは下がっていったはずだ。彼らは宗教関係者として出演してたが、扱いとしてはバラエティタレントだったのだと思う。しかし結果、彼らが力をつけることに加担してしまっていた。そう感じている。
ところで、放送の倫理基準に「占い、心霊術、骨相・手相・人相の鑑定その他、迷信を肯定したり科学を否定したりするものは取り扱わない」ってあるのは知ってるかい? オウム騒動前にあったかは知らない。けど、今、これ遵守されてると思うかい?
地下鉄サリン事件から15年。あの騒然とした状況と、それ以前の、状況を用意した社会の背景、それらを思うことは、今を省みることにも繋がっている。あれは過去の出来事だけど、もう起こり得ないことだ、そのように考えちゃいかんと思っている。