フィラデルフィア図書館会社と職工学校図書館について要約せよ。又ガブリエル・ノーデとジョージティクノアの思想についてもまとめよ。
フィラデルフィア図書館がベンジャミン・フランクリンを中心として設立されたのは1731年のことである。それ以前は貴族などの特権階級、修道院・大学という特殊な研究機関に向けて作られた図書館が主なるものであったが、ここに民衆を対象とした図書館が、民衆の手によって作られることとなった。「図書館会社」と呼ばれるこの図書館は、当時海外から取り寄せるほかなかった高価で貴重な図書を求める思いから、会員から一定の金を徴収し共同購入した図書を共同で利用するという枠組みを持ち発足した。植民地アメリカで生まれた二世である労働者階級の若者たちが、自己啓発を目的として図書を求めたことを蔵書から知ることができる。蔵書の大半、約三分の一が歴史書であり、しかも一般人民の政治に関与する権利の拡張や維持、革命や君主制の崩壊を取り扱ったものが主であり、これは先制政治を批判し国民の自由と政治の調和を理想としたジョン・ロックの著作を擁する哲学の蔵書にもみられる傾向である。また歴史に次ぐ蔵書数の多さを見せる文学は古典よりも同時代の著作を集めており、会員の自身が生きる時代への関心の強さを見てとることが出来る。特筆すべきこととして、この図書館は多少の保証金を積むことによって非会員でも利用できたことにある。このことが後の公共図書館への発展を促すこととなる。
アメリカで先駆的に起こった会員制図書館はもちろんヨーロッパでも設立されていた。しかし入会金の高さが収入に劣る階層を締め出すこととなり、それらは主に中産階級のものとなっていた。
だが、十八世紀の終わりごろ、経済的な向上と政治の権利の獲得、闘争のためには教育が必要であるという声が労働者階級のなかから起こり、それが新たなタイプの図書館を産む要因となった。グラスゴー・インスティチューションで自然科学を教えていたジョージ・バックベックが、大学に出入りしている労働者たちが知識を求めていることを知ったことから職工のための学級を開設し、それが後に図書館を擁することとなる職工学校の礎となった。1823年に創刊された『職工雑誌』がグラスゴーの職工学校を報じ、それがきっかけとなって1824年にロンドンに職工学校が開校された。それを皮切りにマンチェスター、ランカスター、リーズ等でも同様に職工学校が作られ、1830年代なかばには百校以上に達することとなった。ここで重要であるのはこれら学校が図書館を備えていたことである。ある程度学生たちにより選書されたと考えられる図書館の蔵書は自然科学と技術に重点が置かれていたが、貸出量が最も多かったものは小説であり、このことに後の公共図書館の性格が伺える。事実いくつかの地域では職工学校の建物を使って公共図書館が発足しているのである。
これらの実際の公共図書館へとつながる動きを自らの理想としていた思想家がいた。ガブリエル・ノーデである。ノーデは図書館は特権階級ではなく民衆のためのものであると説き、宗教や政治による図書の偏向や稀少本を偏重する傾向を批判、新旧を問わない広範な、あらゆる分野にわたりよく整理された蔵書を理想とした。近代に於いてはジョージ・ティクノアがボストン公共図書館への報告のなかで以下のような主張をなしている。すなわち、辞書辞典や稀少本、逐次刊行物を除く図書の自由な貸出を認め、閲覧希望図書は少なくとも一冊、請求の頻繁なものは副本を購入し貸出に充てる。というこれらは現在の図書館に於いても最も基本的とされる思想であり、彼の言をして近代公共図書館の理想の先鞭といわれる由縁である。