僕は中学三年までは、特に音楽が好きだったというわけではありませんでした。どちらかといえば、音楽は苦手な科目で、中学の成績表の中では音楽だけが汚点になっていました。他の科目の成績は悪くないのに音楽だけが足を引っぱっているような状態が続いて、それはもったいないというので、音楽に対する苦手意識を克服するよう、アドバイスをくださったのが、当時の担任の先生でした。
最初に手をつけたのは楽典でした。楽典はそれこそ覚えるだけで結果が出るので、楽典に関してはすぐにも克服できました。ところが意外にも大変だったのが、楽譜を見てその曲が何かを当てるという問題でした。なにしろ、それまで専門的に音楽を学んだわけではありませんから、楽譜を見て音楽が浮かぶというところまでいかなかった。そこで先生が、学校の鑑賞用レコードを貸してくださり、そのレコードをとにかく聴いて音楽を覚えることにしたんです。
最初はそれこそ勉強と同じで、何度も練習問題を解くように、レコードを何度も何度も聴いていたんです。ところが何度も聴いているうちに、だんだんと音楽を面白いと感じるようになってきた。すると、人間とは不思議なもので、今聴いているだけの分量では満足できなくなり、いろいろな曲が聴きたくなってきます。今から考えると、これが僕にとっての音楽との出会いでしょうね。
高校に入ってしばらくはテニス部に入っていたのですが、諸般の事情から退部したことによって、時間に余裕ができるようになりました。その余った時間を音楽に費やすことになりまして、自分でもレコードを買い集めるようになってきました。
僕と同じ年代の人ならば、おそらく同じような経験をした人もいることでしょう。当時レコードはまだ安い品物ではなく、日本橋のワルツ堂などの廃盤セールで半額のレコードを買っていました。ですが、それでも多くのレコードを買えるわけではなく、レコードを買うために昼食の費用を削ったり、電車やバスに乗らず、その分浮いた費用をレコードに回したりと、大変な苦労をしたものでした。それだけに、その時買ったレコードに対する思い入れは、今でも強いですね。
高校も卒業を向かえる学年になり、進路を決めなければならなくなりました。僕のいたコースは理系だったので理工系に進むのが普通でしたが、僕のなかでは本当に音楽が大きなものになっていたのです。高校ではフルートも吹いていましたが、専門的に学んだわけではなく、音楽演奏以外で音楽を学べるところを調べたところ、関西学院大学文学部の美学科で音楽学を学ぶことができると知りました。ですが、進路の決定は一生を左右する大きな選択なので、大変に悩みました。結局は、自分の人生なのだから自分の好きなことをしたほうがいい、と思い、音楽の道を選びましたが、この時に反対せず、僕のやりたいように自由にさせてくれた両親には、本当に感謝しています。
大学に入ってからは、オーケストラに所属しチェロもレッスンについて学び、また恩師である谷村晃先生と出会ったりと、刺激になることが多く、充実した日々を送りました。この高校卒業時の選択が正しかったのかどうかはわかりませんが、結局音楽に携わる仕事に就けているという意味では、思い切って決断してよかったと思っています。しかし、僕を音楽の道に導いたきっかけというのが、中学まで苦手にしていた音楽の教科だというのが、不思議な因縁を感じさせてくれますね。