友人が一人フランス留学から帰ってきたかと思えば、また別の友人が勉強のためフランスに渡るという。「いつかフランス人に」を心の標語としている僕だ、嫉妬を感じないといえば大嘘になる。けれど、僕は決して彼女のことを嫌いではなかった、今は正直一抹のさみしさを噛みしめていよう。
彼女へのはなむけの言葉として、«adieu» 以外に思いつかない僕だ。気の利いたなにか――ものにせよ、言葉にせよ、を送ることはまあ無理だろう。だが、フランスに単身渡る彼女になにもできないというのもしゃくではないか、情けないではないか。だから、自分にできることで彼女のためになることはなにかを考えた。そして、メールを一通打ったのだった。
フランスに行くあんたには、何もしてやれないので、せめてフランス語の学習の役に立とうではないかと思う。次にあったときから、会話をすべてフランス語で行うかね? 僕のフランス語も悪いは悪いが、フランス語で考えることに慣れるのための、多少の助力にはなるかと思う。
Oui? ou Non?
好きなほうを、選んでおくれ。
彼女は、今後を不安に感じている。その不安を取り除くことなんて、僕にはできっこないのだが、その不安を形成する一部に対してなら、なんとか支援することもできるかも知れない。彼女の不安の一部、それはフランス語にほかならない。フランス語の読解力を求められるテストに対し不安を強く感じている。そう彼女はいっていたのだった。
僕は、いつかくるかも知れないチャンスをつかみそこねないために、フランス語の勉強を今も続けている。いつ使うか分からないフランス語で、実践もさほど、数えるていどしかない代物だ。だが、こんなものでも人のためになるのなら、恥を忍んで使おうと思う。幸い、語彙、文例において、知識だけは彼女を凌駕している。この、自分のなかにとどめておくだけではきっと役立つことのない言葉。これらが、せめてわずかでも彼女のためになるのなら、それはきっとよいことだろう。
次に彼女に会うときまでに、せいぜい役立つ表現と、なんの役にも立たない表現を、しこたま取りそろえておくとしよう。Un bienfait n'est jamais perdu.
フランス語の部屋「いつかフランス人に」へ トップページに戻る