脳が疲れる話

 留学をしていた友人が帰ってきたので、皆で会おうという話になった。一口に留学といっても一筋縄ではいかなくて、一人はフランス、もう一人は中国。なんといおうか、私のお友達はなんかどんどんワールドワイドになって、いつまでも日本にはいつくばってる自分を振り返っては悲しくなる。いや、こればかりは実行力のない自分が悪いとよく分かっているので、誰を恨むでも、なにを悔やむでもないのだけれども。

 さて、会ったメンバーというのが面白い。私、日本人。友人日本人、それにフランス語を話すイタリア人と日本語を話す中国人を交えて全部で六人。なんか、すごい取り合わせじゃないか。イタリア人氏は日本語も少し話す(!)ので、おおむね会話は日本語を中心にして進んでいく。しかしほんの数ヶ月しか日本語を習ってないという彼があれだけ話すとは、やっぱり日本の語学教育には問題があるんじゃないかと思う。いや、もともとのできが違うのかも知れないんだけどさ。

 私はフランス語を勉強していたものだから、イタリア人氏にはできるだけフランス語で話しかけていた。ちょっと込み入ったことを話そうとするとさすがに語彙も文法も発想も追いつかなくなるので、フランス留学の彼女に助けを求めて、しかし彼女も、その、なんだ、日本にいたときには自分の方がよっぽどましにフランス語を使っていたのが、もうまったく逆転してしまっていて、驚くほど流暢に話すんだ。もともと発音やなにかにはシビアに取り組んでいたから当然なのかも知れないが、それにしても上達がすごい。フランス語の土地にあってそれを学ぶということは、とにかく格段の効果をもたらすものだと思った。事前に予想した結果であったが、正直結果はその予想を上回って、ショックだったな。

 久々に知人に会うということも楽しければ、はじめて知りあうということも同様である。数年のブランクなどなかったみたいにして、いろんなことを話した。ちょっと小難しいことも話した。いや、これに関しては自分も悪い。私が話すと普通のことが小難しくなる。易しく話せないという問題は、私の欠点の中でもかなり大きな部分を占めている。ともあれ、日本とヨーロッパの宗教観の違いだとか、もちろんもっと普通の話題も含めて、いろいろを話して、とても面白かった。

 ところが、外国語を話すというのはとても疲れる。慣れない文法に慣れない語彙を駆使して、日本語で思っていることをフランス語に変える。直接フランス語で考えられればいいが、そこまで私は熟練していないのだよ。いつしか脳がくたくたになって、ぼんやりと重い雲みたいなものが立ちこめてくる。雲を振り払おうにも振り払えるもんじゃない。さらにはだんだん眠くなる。久しぶりの感覚、フランス語を習いにいっていたときは、確かに毎回こんな感じだったっけ。

 フランス語をしゃべる友人に、脳は疲れないかと聞いたら、そりゃ疲れるよ、少ない語意を補うためにいろいろ遠回りに説明しないといけないからなおさら疲れるとの返事。日本語をしゃべるイタリア人氏に、日本語でしゃべると疲れるかと聞いてもらったら、すごく疲れるとのこと。やっぱり外国語をしゃべるのは、脳力を著しく消費するのだと合点した――、のだけど。

 日本語を話す中国人氏に聞いたら、ちょっと返事が違ったのだ。うん、疲れる、いや疲れない、ってどっちやねん。けれど端から見ている限り、彼に疲れている風は感じなかった。以前会ったときよりもずっと日本語に堪能になって、ほとんどつまったりしない。いいたいこともちゃんとわかるし、けどそれだけの重労働を脳に課して、疲れを見せないというのはよっぽどタフなんだろうか。私なんかは、実にだらしないことに、日本語も覚束なくなってるというのにだよ。


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公開日:2004.07.25
最終更新日:2004.07.25
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