大人は判ってくれない

大人も子どももなく、悲しみは悲しみ

原題:LES QUATRE CENTS COUPS
1959年/フランス/100分

監督:François Truffaut
発売:カルチュア・パブリッシャーズ(DVD)


 大人は判ってくれないというが、僕には子どもがわからないのだ。やること適当にやって、うまくその日を切り抜ければいいのに、どうもそうはいかないのが子どもというものらしい。加えて、やらなくていいことばかりやるのも子どもというのなら、僕はそんな彼らと付き合っていく自信がなくなってしまう。けれど、この映画の主人公であるドワネル少年を見ていれば、子どもは彼らなりの理由と理屈でもって生きているのだということが分かる。ただ、その理由を大人が受け止めてやることができないだけなのだ。

 実際、ドワネル少年はそれほど悪い子ではなかった。このことは、映画のあちこちから見て取ることができる。彼は、彼なりに頑張ってはみたけれど、それがうまく働かないばかりか、裏目に出てしまうような少年だ。加えて、人のいたずらに乗って見咎められるのは常に自分ばかりという、要領の悪さもある。いいたい思いやなにかがあっても、うまくそれらを伝えることをできないばかりに、だんだんと追い詰められ、結局は疎外されてしまう彼の生き方に、僕は共感せずにはいられない。よりよいほうへと進もうと思いながらも、まるで強い流れに押し流されるように悪い結果ばかりに行き着いてしまう。その度に自分なりの正義を伝えようとするが、子どもの正義というのは、大人から見れば決して正義でなかったりするのが世の中で、そういう伝わらなさに打ちひしがれるたびに、人は正義や善についてをあきらめていってしまう。

 作中で何度か言及されていた海。ドワネル少年は最後に海にたどりつく。憧れ続けてきた海に、彼はなにを見、なにを思うのだろう。だが、そこに彼の望んでいたものはなかったはずだ。絶望的な思いで、ゆくあても分からず茫然とするばかりの彼は、少年にしてすでにわれわれ弱い人なるものの代表としてあった。なればこそ、人に理解されないことの悲しみは、子ども時代のみに留まるものなのだろうか。


評点:4


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公開日:2002.05.06
最終更新日:2002.05.06
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