魔法のくちびる――世界口笛大会

彼らの喜びは私の理想そのもの

表題:「魔法のくちびる――世界口笛大会」,『地球ドラマチック
原題:THE FINE ART OF WHISTLING
放送:2005年7月27日水曜日19時から19時45分
制作:Q-BALL PRODUCTIONS(アメリカ/2005年)
NHK教育テレビ


 世界は広いのだから、口笛の大会なんてのもあっておかしくないとは思ったが、しかしそれがこんなに楽しくて、奥が深いものだとは思っていなかった。出場者たちは一癖も二癖もある楽しい奴らで、口笛にかける情熱たるや並々ならぬものがある。その技術の確かなこと。音色は美しく音楽性も高い。口笛とは素晴らしい楽器である。

 私がこのドキュメンタリーに心打たれたのは、なにも口笛の技術が高かったからだけではない。口笛の魅力の虜になった人たちの、その愛の深さが心を打ったのである。かつて口笛は楽器としての市民権を得ていて、ビッグバンドジャズではソリストがソロを熱演し、プロによる演奏がレコードで販売されるなど、他の楽器に比べても遜色ない扱いをされていたが、そうした状況はトランジスタラジオの出現で変わってしまったという。ラジオ出現以前の口笛は、誰もが気楽に親しむことのできる楽器として、愛好する大人たちから子供たちに技術が伝えられもしたのだが、小さなラジオでどこででも音楽を楽しむことができるようになってからは、音楽は受け身で楽しむものになってしまい、口笛はタクシーを呼ぶときくらいにしか使われなくなってしまった。

 口笛愛好家たちの悲願は口笛の復権であり、それはひいては、すべての人が音楽をする主体であることを再発見することにつながる。グレン・グールドは、テクノロジーの進歩がすべての音楽愛好家に音楽を構築する楽しみを与えるだろうと予言したが、それはある点で正しく、しかし誤ってもいた。音楽愛好家の一部こそは音楽に関わる新たな楽しみを手にしたが、残る多くはあくまでも聴取専門。一般市井に目を向ければ、音楽はありふれた消費財としての惨めな姿をさらしてさえいる。そうした光景からは、口笛奏者の音楽することを楽しもうという姿勢は見ることができない。

 口笛愛好家の望む人と音楽の関係は、私の理想に同じであった。私は彼らに賛同する。


評点:5


耳にするもの目にするもの、動かざるして動かしむるものへ トップページに戻る

公開日:2005.07.27
最終更新日:2005.07.27
webmaster@kototone.jp
Creative Commons License
こととねは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 2.1 日本)の下でライセンスされています。