領事

人を飲み込む効率の時代に向けられる懐疑的眼差し

原題:Consul

作曲:メノッティ
主催:大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス
日時:2001年3月19日


 舞台は戦時下、ヨーロッパのとある国。秘密警察に追われる夫を持った、妻の話です。夫は、妻に領事館へ行くようにと言い残して一足先に国を出、妻は領事館に通うもののビザはおりず、飢えと寒さで子どもと母を失って、自身もガス自殺を図ります。筋としてはよくある話、けれどオペラという形式の持つ求心力は、終幕に向かって疾走します。

 主人公、マグダが死のうというとき、舞台を取り囲む手続き待ちの群衆が、シャワーから吹き出るガスによって倒れていき、同様の手口でユダヤ人を処理したナチス政権下のドイツが舞台だとほのめかします。ですが、この作品の持つメッセージとは、戦時下の空しさや酷薄さを越えて、管理社会における人間疎外、人間性の軽視に対する疑惑の表明なのではないでしょうか。

 領事館秘書は嘆願者自身をではなく書類を重視し、彼らは番号によって処理されます。個々人の都合は顧みられず、すべてが一律に取り扱われる状況に、すでに個としての顔は存在しない。これは秘書の、なぜ各人に名前があるのか、状況は皆同じなのにという叫びにあからさまです。その秘書は、時間が来れば仕事を切り上げ、彼女にとっての関心事はこれから見にいく映画に移ります。ですが、われわれに秘書を責めることは出来ません。

 すべては効率を重視してきた二十世紀の価値観に従ったゆえのことです。多くの事例を処理するには、個々に気を配ることなど不可能。肥大した組織、国、経済を動かすには、効率が最優先されてしかるべきで、秘書は求められることを遂行しているにすぎないのです。

 二十世紀は効率化のもとに、大量の消費財を生産し、費用効果に優れた殺戮手段を発展させてきました。われわれを取り巻く状況もそれらの延長線上に位置しています。情報技術の発展により、これまで以上の効率化が求められる今、それが本当に人にとっての仕合せを生むのか。それを考えることもわれわれ個人の課題なのです。


評点:3+


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公開日:2000.03.20
最終更新日:2001.08.29
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