原題:じゃりン子チエ
1981年/日本/113分
監督:高畑勲
原作:はるき悦巳
発売:東芝EMI/バンダイビジュアル(LD)
「うちは日本一不幸な少女なんや」
父親は仕事にもつかず放蕩の限り、そんな父親に愛想を尽かした母親は出ていってしまって、家族崩壊の危機。その竹本家を一人でしょって立つのは、小学五年生の女の子、チエです。普通に考えて、日本一かどうかはともかく不幸中の不幸といっても間違いない状況でしょう。
けれどことばとは裏腹に、チエちゃんは日々を充実して、悲壮感のひとつも漂わせず元気に生きています。生活力、店の切り盛りは大人顔負けで、商売のホルモン屋も繁盛。この元気は、チエちゃんの力であって、果たしてチエちゃんだけの力でしょうか。
チエちゃんの住む町は大阪は通天閣近く、人情が生きる土地と時代。お節介といえばお節介だけれども、地域あげての互助が自然になされています。面倒で気詰まりと都会では嫌われる隣近所との濃密な関係が、この崩壊家族を支えているのです。
思えば、僕の子ども時分にはまだこういう関係めいたものが残っていました。昼間、母親が留守にするときには向かいの家で遊び半ばに預かってもらい、たこ焼きを焼いたらお裾分け。近所の子ども好きのおばあさんの家に友だちそろって遊びに行ったりと、今の生活環境では考えられない関係がありました。
考えれば、こういう環境が失われて、家族は崩壊するままになったように思えます。閉鎖的な家庭内で、子どもを持つ重圧に押しつぶされる母親、家を顧みない父親、共同を学ばない子どもたち。地域に対する関心が失われたばかりか、家族同士の関心さえ希薄になると聞き及んでは、果たしてこの国の行く先はどうなるのかと、がらにもないことを考えずにはおられません。
この映画は失われつつある地域関係のドキュメントであり、価値です。あれば疎ましいくせ、なければやっぱり寂しいのが地域。僕は捨てたくて仕方がないけれども、この映画を見るたびに嬉しくなるのは、やっぱりどこかに求めるところがあるからなのでしょう。
評点:4
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