シックス・センス

もう一度見たい、何度でも見たい、そして関わりたい

原題:The Sixth Sense
1999年/アメリカ/107分

監督:M. Night Shyamalan
発売:ポニーキャニオン(DVD)


 テレビで見て、ショックだった。盛んに宣伝されていたラストシーンの秘密もそうだが、それだけではない。精神科医と少年が二人で導き出した結論が、まさに私の理想とする生者と死者の関係であったからだ。私は、死んだものを生きている人間と同じく遇し、普段身近に接する人たちと変わらずつきあいたいと常々思い続けてきた。

 馬鹿馬鹿しい妄想かも知れない。第六感など映画の中のフィクションだ。しかし私の友達の妹は、死者を見ることができた。寝ようとする間際に死者を見付けて、そのせいで眠れないという。目をつむったらと友人はいったが、目を閉じても見える。眉間の辺りで見るのだという。彼女が今も霊を見ることができるかどうかは知らない。だがその友人のいうことだから私は信じた。幽霊などいないという立場は捨てた。霊を見ようとしても見ることのできない私は、単純にその人の能力に憧れ、なぜ自分にはその能力がないか嘆いた。

 もし霊が見えれば、人生は一変するだろう。生きてるものに良い悪いの区別があるなら、死んだものにもあっていいはずだ。私の住む世界に重なるように存在している世界があるなら、その世界に対し私は自分を開きたい。死んだ人たちに出会い、話し、多くを知りたい。友人もできるかも知れない。付き合いきれないやつもあるだろうが、それは生きているのでも変わらない。むしろ私は死んでなおこの世に残っている彼らに優しさを感じている。そうした彼らの助けになれるなら喜んで手を貸そう。彼らと我々の仲立ちとして、分断された世界を再びつなげたいとさえ願っている。

 この映画を見て、私はやはりあの少年に憧れている。私の理想的位置に決着した物語にため息つくほど引かれる。当たり前のことだろう。なにしろこの映画の結末は私の夢見たままなのだから。だが私はその能力を持たず。その悔いをもって死してとどまり、私を見付けてくれる誰かを探すしかないように思われる。


評点:5


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公開日:2004.09.02
最終更新日:2004.09.02
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