ダンサー・イン・ザ・ダーク

世界は、愛されるべき存在として、絶えず自らを歌う

原題:DANCER IN THE DARK
2000年/デンマーク/2時間20分

監督:Lars von TRIER
音楽:Björk
配給:松竹、アスミック・エース


 二度目のミュージカルシーン、傍聴席で本当に楽しそうな顔を見せるカトリーヌ・ドヌーブにカーラ・セイモアを見ただろうか。ミュージカルの魔法に守られた神聖な領域には、つらい現実は入り込んでこない。それは、ありきたりで幸福な結末が約束されたサンクチュアリ、退避場所としてして機能する――ばかりだったろうか。

 セルマの夢見たミュージカルシーンは、すべての箇所で、つらい現実を忘れさせる麻薬であったわけではない。確かに、オルドリッチ・ノヴィがセルマの空想のなかで歌ったように、彼女はミュージカルに酔い、夢見、現実から離れていた。しかし、通り過ぎる列車に触発された歌は、夢でありつつ現実を超えてより以上に現実だったことを忘れてはならない。

 男が親友に殺されるのも、まっとうしない命が半ばで消えるのも見た。過去も未来もすべて見たとセルマは歌う。彼女を追いすべてを見た今、セルマならずともわかるのではないだろうか。彼女の歌は、まさに自身を克明に描くものであり、予言であり、すべてが語り尽くされていることに。

 細部は常に全体に働きかけている。すべては有機的に世界を支え、支えられ、あれらはまさしく生きた実相だった。あの場に立ちあったものは気付いていたはず。ドヌーブもキャシーも、スクリーンごしのわれわれも。あの仕合せな瞬間が現実の反照として、互いに引きあう力でもってより強く意識に真実を立ち上らせたことを、セルマをとおし見たはずだ。

 機械の響きに音楽を聴き、行き過ぎる列車に世界のすべてを見るセルマの在り方を見て、彼女だけが特別だと考えてはならない。この現実に区切られたわれわれであってさえも、耳を澄まし世界の音楽を感じさえすれば、現実の相を超えた境涯に往来し、ひいては本当の世界に気付くことが出来る。そうなったときにはじめて、われわれは自分自身を、過去も未来も、そして世界が真に愛する価値のあるものと、知るのだろう。


評点:5


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公開日:2001.03.22
最終更新日:2001.08.29
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