やかまし村の子どもたち

夏休みは永遠

原題:Alla vi barn i Bullerbyn
1986年/スウェーデン/90分

監督:ラッセ・ハルストレム
原作:アストリッド・リンドグレーン
発売:アスミック(DVD)


 昔は確かに、夏休みには魔法がかかっていました。毎日が休み、特別な日々が終わりなく続いて、風、光まで違って感じたものでした。時間は停滞して、逆向きにさえ流れてみせたものでした。

 やかまし村の子どもたちも、そんな特別の日々を満喫していきいきと遊び回っています。夜中に抜け出して水の精を探しに行ったり、島を海賊船に見立ててごっこに明け暮れてみたり。特別の日々の中で、子どもたちは子どもたちの世界を打ち立てて、まさに精神の王侯貴族といった風格を見せつけます。

 大人の価値、枠組みを自由に越え渡る軽やかな足取りは、大人のわれわれから見ると非合理的だったりもどかしかったり。もっとやりようがあるのにとか、しょうがないなあと思いながらも、ほほ笑ましく思うのは自分も昔は自由の足取りをもって、子どもの世界を渡ったことをどこかに憶えているからでしょう。それを懐かしく思うのは、自分がもう大人の価値で生きていることの証拠であって、ちょっと自虐的に自身を省みる瞬間です。

 今現在の日本では、子どもが子どもらしく遊べる場がないと問題にされています。昔遊んだ自然は失われて、危険という理由で立ち入りの制限がされて。それでも子どもは、大人の引いた境界を越えて遊びに繰り出したものでしたが、今はそれも難しいのでしょうか。子どもしか知らない世界。それはおそらく今も、どの街のどこにでもあって、大人になった自分がそれに気付かないだけと、そう信じたくなる。子どもが子どもだったころ、自分たちの打ち立てた法の下に遊ぶことは、子どもの特権にして子どもたる所以なのですから。

 やかまし村では、そんな子どもの時間が大人の世界とクロスして、緩やかに横たわっています。子どもは大人の仕事を手伝い、大人は子どもたちを少し離れて見守っている。その近しさゆえに、夏休みは終わっても、この時間はまた繰り返されるかのよう。永遠に続くことを予感させるのです。


評点:3+


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公開日:2001.05.04
最終更新日:2001.08.29
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