あずまんが大王

ありがとう、そして――さよなら

『あずまんが大王』全四巻
あずまきよひこ
(Dengeki Comics EX)メディアワークス,2000-2002年。


 思えば僕は、一体なにを恐れていたというのだろう。一旦開かれたものはすべて、自らを閉じようとする作用に従って閉じられる。そんなことはとうから分かっていたはずなのに。ずるずると終わらない時間の中で、惰眠を貪るなまぬるさを求めていたというのだろうか? 決然とした終止を避けようとする甘さは、作品が作品たろうとする機会を台無しにしてしまう。お前は、最後の最後で惰弱さばかりを露呈した駄作を、山と見てきたのではなかったか。

 あずまんが大王は、一抹の寂しさの中にとめどない晴れやかさをともなって、決然と終止して見せた。ともすれば辛さきびしさよりも、のんびりとした穏やかさばかりが強調されてきたかに見える漫画だったが、最終巻における受験絡みの流れの持つ思いがけないシリアスさが、彼らがあくまでも高校生として、生きた時間の中に身を置いていたと意識させた。

 思えば、この最後の年において、彼らの三年間が試されていたのだ。そして、われわれの時間もまた、彼らとともに試されていた。毎年繰り返された出来事は、繰り返されるごとに深さも味わいも増し、世界のありかたを深く彫り付けてくる。始めはぎくしゃくと人見知り気味だったかもしれない彼らも、いずれ自分の身近にある、大切な人たちのようであるかだ。その境涯にいたってはじめて、時に真面目になる神楽に対し焦りを見せる智を、割りばしを割りそこなった智に怒り責める大阪を、そしてひとり黙々と割りばしを割り続けるちよを理解することができる。無意味と思えたかも知れない些細なことごとが、間違いなく、彼らの存在をささやき続けていたのだ。

 現実に返ってみれば、確かに彼らは存在していなかったのかも知れない。だが存在しないはずの彼らの世界、彼らの感情は確かにあったのだと請け合うことができる。この漫画はただ一身で、ひとつの世界を受け止め開かれたものと展開して見せる、まさに自律した作品であった。


評点:5+


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公開日:2002.06.06
最終更新日:2002.06.06
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