おひっこし

淋しかったり切なかったり、けれど素直にはなれない僕ら

『おひっこし――竹易てあし漫画全集』
沙村広明
(アフタヌーンKC)講談社,2002年。


 仲間とやむない片思い、だらだらとした毎日、時折起こる事件。健全なんだか不健全なんだか分からん、迷走しながらもそれが楽しかった大学時代。若い時分というのは、むやみやたらとあてずっぽうで無計画で、それでもってまっすぐなところもあるもんだから、傷つけたり傷つけられたりもして、それこそ日常がドラマだ――まあ、それが発展するかどうかってのはその時々なんだけれども。ともかく、純情遠野君はよく頑張ってラブコメしていて、恋愛劇は切々と高まり静かに収束する。派手さのないその淡々としたところが竹易てあしの持ち味で、からっとした空の高さが気持ち良い。

 とはいうものの、ラブコメだけが『おひっこし』ではないのだ。至るところに挿入されるネタ、パロディの数々、――それは、分かるやつだけ分かればいいという突き放した態度でもって、次々打たれては滞りもなく流れてゆく。加えて、人を食った連中、かみ合わない会話、無茶な展開に容赦ない突っ込みというすべてが、最高のタイミングで勘所を押さえて響く。現実にはありえないようなことであっても、それでいて妙に現実味にあふれて迫るというのが不思議だが、きっとこの漫画中にあふれている感性というのが、そのまま我々のメンタリティなのだろう。シリアスさを、うわつきはしゃいだ見せかけに紛らわせている。不意にこぼれる本音が、気恥ずかしくって切ない。弱くぎこちなく淋しい世代の生き方がありのままに描かれているから、なおさら彼らをリアルに感じてしまうのである。

 同時収録されている『涙のランチョン日記』も面白いが、こちらはより喜劇色が強く、僕にとってはやはり表題作が好ましい。京都紀行はあんまり京都してないが、それもまたいい。ともかく、僕は竹易氏(つうか沙村広明)の描く人物がたまらなく好きなので、たくさんの人がごちゃごちゃと動く『おひっこし』は最高だった。何度でも読み返せて、その度に深まっていく。


評点:4


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公開日:2002.10.24
最終更新日:2002.10.24
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