『R. O. D.』1から2巻
山田秋太郎(画)/倉田英之(作)
(ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ)集英社,2000- 年。
それは、本と見れば読まずにはいられないビブリオマニア。見た目は鈍でちっとも活劇なんか似合いそうにない彼女が、実は大英図書館所属の凄腕エージェントにして史上最強の紙使い、読子=リードマンだとしたらどうだろうか。いや、どうもすまい。
大英図書館の命により戦う読子の武器というのが、紙。絶対の信頼を寄せることによって紙は、炎をも退け鉄をも切る力となる。彼女は本を、紙を愛し、また紙に愛されているがゆえに、最強の紙使い足りうるのだとしたらどうだろうか。いや、どうもすまい。
正直なところ、不満なのだ。作中において、本の深遠はうるさいほどに描写されている。読子らビブリオマニアの執着を通し、本の力というものがいやというほど語られながらも、その一部もかいま見ることが出来ないというのは、つまり僕が不感症とだとでも言うのだろうか。いや、そうではないだろう。
作中に語られる言葉は、形式をなぞるばかりの記号としてしか機能していない。ひとつひとつの描写は、あらかじめ用意された結論に直結する、安易な定型に堕してしまっているのだ。そこでは、各個の主題や動機が自らを組織することはなく、作品を綜合へと至らせる動的な作用の片鱗すらを見ることさえ適わない。語られるその時には既に完全無欠の筋が出来上がっており、対立や拮抗といった劇的要因は、注意深く取り除かれた。動くかと見せてぴくりとも動くことのない、見せかけだけが用意されているようだ。恐ろしく精巧に作られた出来合いの模造品にわれわれは一応の驚嘆を示しはするものの、血の気の失せた様相からはそれ以上のものを感じ取ることは出来ないのだ。
読み取ることに関しては、ちゃんと解答が用意されているだけに簡単だ。促されるままに、理解していけばいい。だが、それが本の醍醐味か? 本を語るというのなら、身を投じ遊ぶに足る世界を創出してくれないことには。言行不一致も甚だしいというものだ。
評点:2+
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