『ブラックジャック』全二十五巻
手塚治虫
(少年チャンピオン・コミックス)秋田書店,1974-1995年。
凄腕の無免許医、ブラックジャック。法外な治療費をふっかけるものの、弱者に注ぐ眼差しは優しい。医療、命の価値、人の尊厳を描く筆致はいきいきと躍動感にあふれ、その価値とともに今なお色褪せるところを見せない。だが今となってみては、幾分か古くさく感じてしまうのもまた事実だ。
古くさく感じられるのも仕方がないかも知れない。この作品が雑誌に連載されていたのは昭和五十年代。二度の石油危機の後、不況に喘いだ時代だ。彼はよく当時の世相を反映している。モチーフにされただろう事件や社会現象、流行、そしてギャグも、当時の雰囲気をよく表している。悪くいえば、アナクロともいえないだろうか。
だが、そのアナクロさが散見されるこの作品を今読んでみても、古くささを越えて引き込まれてしまうのはなぜだろうか。そこに見出される社会はあくまでも因習的で、筋だけをとってみても類型化されたものが多い。にもかかわらず、未だに人を引き付けるのは、それだけ表現されたテーマが普遍的に通ずるものであったということなのだろう。
ブラックジャックはあまりにも巨大な天才にかかれたために、その苦悩はより深く鮮烈さをもって印象づけられる。彼の行為は、人がいつの時代も関わり続けていたろう、治療、延命、そして死につながるものにほかならない。生老病死が人に関わり続ける大きなテーマである以上、彼の苦悩はまたわれわれ人間すべてが関わりうる苦悩でもあったのだ。
永遠に続くと思われた繁栄が過ぎ、科学技術に対する疑惑がクローズアップされたのもまた五十年代だった。技術がすべての困難を克服できるわけでないということを人は知らされ、人間の人間たる分をわきまえることを余儀なくされた。だが、ブラックジャックは独り超人として技術がすべてを超克しうることを立証しようとあがく。しかし、なおそれをなしえないところに、彼とわれわれの人間性が残っているとは思えないだろうか。
評点:4+
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