ヒカルの碁

正統ヒーローとしての系譜

『ヒカルの碁』1から13巻
ほったゆみ(原作)/小畑健(漫画)
(ジャンプ・コミックス)集英社,1999- 年。


 当代随一の棋士でありながら、世に出ることも名乗ることもかなわない藤原佐為。肉体のすでに死滅した、霊であるがゆえだ。その彼が、saiの名でネット碁に出没する。あまりの強さに誰もが目を奪われるものの、saiが誰かということは誰も知らない。ヒカルと佐為、そしてわれわれだけが共有する、これは秘密なのだ。

 正体を秘密にしなければならない。われわれは、このシチュエーションを知っている。超人的な活躍で誰もが知るところのあのヒーローが、その身を平凡な人間にやつして身近にいる。誰もがその正体を知りたいと望みながらも、決して最後までその正体が明かされることのないヒーロー。随分とこなれてファッショナブルにはなったものの、この作品の根底にはヒーローものの典型が鳴り響いている。

 だが、ヒカルは佐為の影ではなく、佐為もまた影ではない。昔の、ヒーローこそが燦然と輝いて、普段は凡庸な狂言回しにすぎないといった、そういう主従関係は彼らのあいだには存在しない。佐為は完成された理想としてありながらも、迷い揺れ動く弱さを垣間見せるし、ヒカルは未熟であるというだけで、いずれ完成に向けて変化し続ける意思として描かれている。両者は主従でも対立するなにかでもなく、互いの足りない部分を埋めあいながらともに歩んでいく、よきパートナーなのだ。いずれ行き着く先に、二人の重なる地点がある。それを予感させる、まさに現代のヒーロー像を彼らからは感じとれる。

 ともあれ今は、素直に状況を楽しむとしよう。正体が明かされる日は来るのか。明かされたその時、どのように筋は転ぶのか。そもそも、明かされるなどということがあるのか。あるいは……

 考えるだにわくわくと心のはやる。それは子どものころより、ヒーローの行く末を案じ胸躍らせた体験に同じ。その高まりこそが、この作品が明らかに正統ヒーローとしての系譜にその名を連ねているという、なによりの証である。


評点:5


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公開日:2001.08.20
最終更新日:2001.08.29
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