『カモネギ白書――山ちゃん、雀荘にたゆたう。』
山崎一夫,西原理恵子
角川文庫,2001年。
人生は博奕だなんてうそぶきながら、まったく博奕とは縁のない人生を送っている私。けれどそういう無頼人生にはどこか憧れているふしがあって、ついついこういう本を手にしてしまう。読んで思うことは、つくづく自分は博奕には向かないだろうということ。ひりひりするような鉄火場のせめぎあいには到底ついていけないだろうし、タネ銭が溶けるのを見て正気でいられるとは思えない。精神をすり減らしながら、躍起になって元本だけでも取り返そうと、のめり込んでいく姿が目に浮かぶよう。結局は穴の毛までむしられて、火だるまになるのが落ちだろう。勝てない勝負はしないがモットー。おかげで、どうにか世間並みの生活は送れている。
それがどうもやるせない。半生を振り返っても大勝負をしたことはまるでなく、そのせいなのか人生を生ききっている実感がない。大負けもしないが勝つこともない、なだらかな人生。そんな自分の生き方にほとほと嫌気がさして、耳の奥から声が聞こえてくると本当にやばい。一獲千金を狙いに打って出よう! 勝てば官軍ではないか。
けれど気の小ささが災いして、打って出ることもなく平穏な人生は続く。耳介に響く声を黙らせるために代替手段に手を出したりして、博奕の虫を抑えにかかる。その点、この本は本当に役に立ってくれた。
博奕打ちの面々。一癖も二癖もある人ばかりで、またその筋の人もいたりして、危ない匂いがぷんぷんしてくる。実際のところ、紹介されているのは序の口、のれんをくぐったところくらいのものだろう。それでも、この人たちと渡りあう自分を想像することさえかなわない。いや、負ける自分、むきになって挑んでは、カモネギの焼き鳥になって泣き帰る自分しか浮かばないのだ。
解説にもある。本当に好きなのは博奕に勝つこと。そう、僕はあまりにも負けるのが嫌いなので、負ける可能性に立ち向かうことが出来ないのだ。幸か不幸か? 幸なんだろうね、多分。
評点:3-
耳にするもの目にするもの、動かざるして動かしむるものへ トップページに戻る