『耳をすませば』
柊あおい
(りぼんマスコットコミックス)集英社,1990年。
出会い。出会いはどこにでも転がっていて、けれど意識してはじめて本当の出会いに変わる。それは、日々のなんでもない出来事に心を巡らせて、意味をひとつひとつ見出していく作業に似ています。
月島雫と天沢聖司の出会いは、図書館の貸し出しカードに残った名前。ロマンティックな設定と純情な中学生たちの恋模様は、まさに一昔前の空気が漂っていて、気恥ずかしさもひとしお。遠い昔を懐かしむ、一時の楽しみを与えてくれます。この気恥ずかしさは、天沢聖司が童話を手に取るときの喜びに似た秘密の楽しみなのかも知れません。
その楽しみを共有する仲間として、お互いに見つけてしまった名前。なんでもなかったものは気付いた瞬間に意味ある言葉に変わり、世界の意味は一度に転倒します。そう、これは気付きの物語なのです。
本によって知らぬ間に世界と出会い、語らっていた雫は、本に向かうように日常も読んでいきます。夏の暑さ、風の渡り、光に、人に出会ったその時、音として立ち上る意味。その気付きを言葉にかえて綴る雫の行為は静かで、大げさにはなりえないけれど、豊かさをもってそこに確かに息づいていることを実感させる胸の高まりです。
そういう胸の高鳴りをいずれ私たちも持っていたはずなのですが、いつの間に失ったのでしょうか。子どものころは、確かに夏の匂いを嗅ぎ、雨の訪れを聞き、夜に怖れを抱いたのに。けれど、ここに大人になったためだといういいわけは通用しないのです。
まっすぐな目を思いだすことです。真向かいに世界に対して、ありのままの自分で飛び込める素直さに立ち返らなければ。胸のいっぱいに大きく息を吸って、静かに口をつぐむ。なにもないと嘆くことは簡単です。本当はすべてが意味をもって興味津々でいるというのに。世界に向き合いさえすれば、ざわめきも聞こえてくるかも知れません。
聞こえないのがかたくなな心のせいなら、たまには胸を開いて、耳をすませば
評点:3+
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