「世間」とは何か

世間から距離を置くための一歩

「「世間」とは何か」,『阿部謹也著作集7』所収
阿部謹也
筑摩書房,2000年。


 私たちは私たちを取り巻く世間のなかで、なにかしら息苦しさを感じながらも、それは仕方がないことだと半ばあきらめて生活している。しかしそれは本当に仕方がないのだろうか。世間からは逃れえないものなのか。そもそも、世間とはいったいなにであるのか。私たち日本人にとっては当たり前すぎて、ためにまた直視されることのなかった世間を対象にした、貴重な先行研究が本書である。

 日本にはどのように世間が成立し、保存されてきたか。著者は歴史的史料を振り返り世間の実質を洗い出そうとする。だが、これまで情緒的にしか捉えられてこなかった世間を知るには、世間から身を遠ざけるようにしてあった隠者の言説に頼むしかなかった。

 すでにこの時点で世間の性質が見えている。中にあれば見えなくなり、いずれ麻痺すれば問題を直視する気も失せる。長い物には巻かれよというが、結局は、世間の支配的にある日本においては、普通の暮らしを求めれば世間に屈服するほかない。逆らえば外に追いやられ、隠者あるいは近所の変わり者として生きるほかなくなる。私らしさよりも世間並みを上位に置く日本人の性質とは、世間の圧力に発していると分かろうものだ。

 私はそうした息苦しさに耐ええず、救いを求めるみたいにしてこの著作にたどり着いた。漠然と捉えていた世間を明確に理解するよすがを得た思いがした。そして私は、やはりこうした世間なるものとは距離を置きたいと思っている。

 しかし私は疑ってもいる。はたして世間は日本に固有のものなのだろうか。ヨーロッパに渡った先人たちは、その社会のあり方の違いに驚いたというが、それは世間がなかったためなのか。個人主義の先進地ヨーロッパには、本当に世間はないのだろうか。私にはそれが分からないので、世間についての論を見るたび、ないといわれているヨーロッパにも世間はあるのではないかと疑うのである。だからいつか、自ら確かめにいかねばならない。


評点:4


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公開日:2004.07.01
最終更新日:2004.07.01
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