存在の耐えられない軽さ

愛の側から見ると

『存在の耐えられない軽さ』
ミラン・クンデラ(千野栄一訳)
集英社文庫,1998年。


 愛は、いったいいつ始まるのか。どのようにして生まれてくるのか。それはいくつにも重なった偶然の結果。トマーシュにとって、テレザにとっても同様だったが、ただ二人にとっての愛は、少しずつ相をたがえていた。
 トマーシュにとってのテレザとは、当初こそ運命を感じたものの、偶然の結果もたらされたものだった。差異によって価値付けられる、他の女達となんら変わらない位置にテレザを置くことで、彼はテレザを傷つけ続ける。
 テレザにとってトマーシュは、偶然から始まりはしたが、運命であったことに違いない。自分を、独自の価値を持つものとして引き上げることの出来る可能性を、トマーシュに見た彼女は、結局彼の裏切りにより、再び顔のない人の列に加わる自分に苦しむこととなった。

 この、すれ違い続けた二人の愛は、しかし同一の極に帰結する。それはトマーシュが終の住み処にて、テレザを他のものとは違うかけがえのないものとして、見つけることにより、果たされるのだ。偶然から始まったものが、絶対的なものに打ち勝つ瞬間、愛の本質は明らかとなる。トマーシュが夢に見た理想の女性。彼にとって夢の女は愛の原型であったが、彼女との天国的生活の夢想は、偶然がもたらしたテレザによって阻まれ、トマーシュはむしろ自分からテレザのもとに帰ってゆく。

 作品中に繰り返される「そうでなければならないもの」のイメージは、結局われわれの一度きりの人生においては、絶対によってではなく偶然の積み重ねによって生じるものだ。われわれが偶然を偶然と証明するすべを持たない以上、偶然は偶然と必然の、どちらともいえないものであり続ける。ただ起こりえたということが前提となり、それは逃れえないものとなってしまうのだ。
 偶然が必然とも成りうる以上、それを愛と呼ばざるを得ないだろう。だが愛はあきらめではない。それがあり得たということが、愛をかけがえのない価値に変えてしまっている。


評点:5+


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公開日:2000.11.10
最終更新日:2001.08.29
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