『テレビばかり見てると馬鹿になる』
山本直樹
太田出版,2000年。
このなかに広がるものは、旧態依然とした男性中心的な世界観に基づく、薄汚いファンタジーの王国だ。女性を性の道具として、消費財にまで貶めるその視座は、自己中心的なマッチョの愚かしさの具現に過ぎない。
この愚かしさをわれわれはいかようにとらえればいいだろうか。如何に女性を攻略容易な性的対象にするかばかりに心を砕き、女性を人格を持つ主体と考えることのない、一面的な世界。そこには、人間としての対話は存在しない。あるのは画一的なイメージであり、この一冊に含まれる短編のすべてが、同じ顔をして無表情に、語る言葉を持たないままに陳列されている。
そのどれをとっても、使い古された陳腐な言葉、表現がただ投げ込まれただけの不毛さ。同一の顔を持って並ぶそれらは、粗悪なコピー品のさらにまたコピーというほどの質しか持ちえず、俗悪さに身震いさえする。
この俗悪さというのは、むしろ世間一般に存在する、女性の肉体とセックスにのみしか価値を見出さない、男どもの本性の露呈であろう。その、古い男性的幻像に囚われた時代遅れの男どもは、このくだらない漫画に自分の汚れた欲望の写しを見て、安心して床につくことが出来るのだろう。そこには現実の人間を見ようという視点、意思は存在せず、自分だけが満足できる閉じた個室の精神しかない。慣れたイメージで、見たいように世界をいびつに捉え、それを他者におしつけながら害毒を垂れ流している。そういう腐敗臭が臭う。
だが問題はそれにとどまらない。この漫画が、俗悪でありながらもその存在を賭け、公に自らを問おうとするのなら救いもあるが、ありきたりな筋、台詞、構図に満ちた質の悪さをこれでもかと前面に押し出している。まさに見慣れ聞き慣れた、自分の中に存在する夢想に基づき、自分個人の営みとして手遊びに生産されただけの代物だ。
俗悪なテレビが人を馬鹿にすることに関しては同意しよう。だが俗悪な漫画も同様だ。
評点:1
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