『誰か「戦前」を知らないか――夏彦迷惑問答』
山本夏彦
(文春新書)文藝春秋,1999年。
どこから切って読んでも面白く、鮮烈。軽妙洒脱な語り口なれどどことなく馬鹿にしている、斜に構えている。飄々と世の中を一段高みから見渡して悦に入る知識人の姿に、下世話に世間に踏み込んでからかわずにはおられない剽軽ものの顔が重なってみえる。言葉のひとつひとつが、文章活字という枠に収まりながらも、自由気ままに、とんとんとんと走って、名文ならぬ名調子。気持ち良く読めて、内容がこれまた充実してるのだから、騙されたみたいにすいすいと進めて、嫌みもちっとも気にならない。この山本夏彦という人は大層な人だと、僕は一読ですっかりまいってしまった。
この人のなにがすごいといっても、その碩学ぶり。編集子相手にひとつのお題で話す中身が、あちらにいったりこちらにきたり、だけどそのあらゆるところがその時代時代を彷彿とさせる。この本は戦前の話を扱っているのだから、臭う香るのはもちろん戦前の匂い。戦前といっても、明治大正くらいから昭和初期までの長い期間を扱っている。この、人によっては古きよき時代を、決してよき時代としてだけは語らない。淡々と時分時分の経験やら伝聞やら本で読んだ知識やらを、有り体に話していって、それが現在の事象事例と対比せられるのだから、一気に全てが身近になって面白みも増すというもの。徹頭徹尾軽快な足取りは一貫して、そのせいですごみは微塵もないが、にもかかわらず引き込まれる。文字通り身を乗り出すほどにのめり込む、他に類を見ない一冊だ。
僕は明治大正時代を好むものだから、この本はとりわけ面白かった。生きた明治大正戦前があって、どの時代にも酷いことがいいことと同じくらいだけあったと分かる。お蔭で、僕は明治に暮らしたいだなんて露ほども思わないのだけれど、思慕はいよいよ強まってしまった。面白い時代だったのだなと、なにかしら骨のようなものがあったのだなと、そう思うのはこの人の持ち味のせいかも知れないが。
評点:4+
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