「とろろねこ」,『SF/フェチ・スナッチャー』所収
西川魯介
(JETS COMICS)白泉社,2000年。
昔の匂いがする。子どもの時分に散々読んだ、江戸川乱歩であるとか落し咄であるとか、SFだってそうだ。日常の延長線上にかいま見える非現実への誘い。非常識で荒唐無稽で、なのにこんなにも引き付けられるのは、目で捉えることの出来ないざわざわとしたなにかへの憧憬だろうか。言葉ではなく、皮膚感覚が求めている。理性で割り切ることの出来ない、ワンダーの世界だ。
猫が、すり鉢に残ったとろろを舐めているうちに、自分をすり下ろしてとろろねこ。このシンプルさと、淡々とした筆致で描き進められる穏やかなテンポが、いい味を出している。自分の猫がとろろになったというのに、なんとはなしに受け容れてしまっている主人公。起承転結もぼんやりとして、グラデーションのかかった転た寝と覚醒の狭間の漫然とした時間が流れる。茫洋と広がる野っぱらの向こうを、茫漠と仄白い頭で夢見た少年を、僕も淡々と思い返しているのだ。
怪人二十面相が巷をにぎわしていたとき、彼はほんの目と鼻の先に、はなからそこにあったかのように溶け込んでいた。敵のアジトから抜け出てみれば、広い原っぱが感覚を惑わしていただけで、まったく近場の日常なのだ。日常に潜む非日常を夢見た少年は、いずれ年を経て夢見ることもしなくなるが、中に大人になりそこなうやつもいて、そういうのが今も子どもの背丈で、野っぱらの向こうに怪人の影と奇々怪々の魑魅魍魎、不思議な世界を見詰めているのだ。
西川魯介も、そういう大人子どもなのだろう。ありきたりの普通を嫌い、突飛を愛する。日常を見る目が、既に非日常を内包するレンズなのだ。なかでも、これは白眉じゃないか? 叙情に極まり、諧謔もそこはかと気の利いて、技巧に長けた他小品に比べてもなおおもむきが深い。大きな声はいらないし、むしろその静かさが存在の価値であるとさえ。
だがこの作者、その後随分と成長されたようで。こういうのはもう描かないのだろうか。
評点:4
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