『四訂食品成分表』1998
香川芳子監修
女子栄養大学出版部,1998年。
元来、料理やお菓子作りは嫌いなほうではなかったが、成分表を買ってまでというほどでもなかった。カロリーなんてとくに気づかったこともなく、市販のレシピ本の通りに作って満足している程度。当時はもっぱら菓子ばかり作っていて、けれどそれが人を傷つけることになろうとは思いもよらなかった。
その女性は、ほかの誰とも違って見えた。なにをするでも、誰を待つでもなく、ただ黙々と時間をつぶしているその姿に興味を持ったのが始めだった。
その女性とは、日々のすれ違いの間に次第に言葉を交わし、知りあう仲になった。無目的的に見える行為を奇異には思ったものの、彼女自身は気さくで魅力的な女性だった。ただ時折遠くに見やる彼女はどこか醒めて、愛想よく笑うなかに、なにも見ていない空虚な眼差しを研ぎ澄ます瞬間があることは気付いていた。魅かれたのは、その謎めいた存在の撞着のためだろう。
なんとか彼女の空虚を埋めたいと、知りあって半年ほど経った彼女の誕生日に、ケーキを焼いた。それが彼女を救うというわけでもなかろうに。
クローン病という小腸に潰瘍を発生させる根治不能の病気がある。著しい食餌制限――高カロリー、高蛋白、低脂肪、低繊維質が求められ、とりわけ脂肪と繊維質は極限まで減らさねばならない。当然ケーキなど食べられる由もなく、彼女の雰囲気のすべてはおそらくその病気から発していた。
血眼になってクローンに関する情報をあさり、慢性腸疾患のための食餌療法を調べた。成分表も料理の試作も、すべて彼女のため。自身にも同様の食餌制限を課し、痩せやつれていって、その後いろいろあって離れていった。
一年間は食に喜びを見出せなかった。ゴミを捨てるように食べ、胃酸で咽喉を焼いて過ごした。二年経っても、自分のためが精一杯。それが三年経って、ようやく人のために料理を作れるようになった。けれど、未だに食に対する罪悪感は拭えず、厨房は正視できない。
評点:-
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