夢であいたい

ひたむきで一途な思いは、安易に軽く流れない

『夢であいたい』
塩森恵子
(マーガレット・コミックス)集英社,1984年。


 アイドルがアイドルしていた時代。幻想にがっちりと固められて、彼らは雲の上の存在だった。選ばれた人間――いや、世俗の人間を超越したかのように崇め奉られて、彼らは文字通り、本当のアイドルだった。

 そんな幻想のあふれたころ、少女漫画というものは如実にそれらを反映して、少女たちを幻想の世界に誘っていた。まったくの幻想の異国、夢物語から、身近な出来事、事件、世相を映すようになっていたとはいっても、やはり女の子は王子さまを待つのであって、このような形式において、さながらアイドルは王子さまにうってつけだったろう。

 ヒロインはあくまでも読者自身であって、お姫さまなどではない。選ばれなかった自分で、不器用で美人でもなく、一途さと純真さだけが取り柄と思い込んでいるかのような女の子。この物語のヒロインもそう。メディアから消えたアイドルと偶然再会し、その愛した男に選ばれるというカタルシス。まさに少女漫画の一大定式がここにある。

 この偉大な形式は今もしぶとく生き存えているが、本当にいきいきと輝いたのは八十年代だった。今素直に踏襲すれば空々しくさえ思え、パロディの格好の題材とされる。しかし往時それを拒む空気はなく、それを享受する少女たちは形式のうちに理想を見出した。幻想の時代の末期、幻想が信じられた最後の時が八十年代だった。

 幻想と知りながら幻想を遊ぶ今は、正体のない軽さがどこか浮ついている。このような時代に、アナクロニズムと知りながら懐古するのは、決して軽くはいられなかった時代のドラマに引き付けられてやまないからだ。塩森恵子は重く、安易に軽く流れない。思い詰めるヒロインは鬼気迫りつつひたむきに、ストーリーは骨太であくまで真面目に取り運ばれる。今はもう流行らない、激情に身を任せる快感を求めるなら、当時に帰るのが一番だ。あるいはこの時代に心を残す一途さが、往時のヒロインと引きあっているのかも知れない。


評点:3


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公開日:2001.09.03
最終更新日:2001.09.03
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