「夕凪の街」
こうの史代
『Weekly 漫画アクション』第37巻第52号(2003年 No.37 9月30日号),53-82頁。
意識のどこかに引っ掛かっているのに、ことあるごとに浮上してくるというのに、あえて押し込めて気付かなかったふりをする。誰しも経験があるだろう複雑な記憶。整理がつかない故に流してしまうこともできず、受け止めることもまたできない。
平野皆実の暮す街には、そうした記憶がたわめられたまま、流れ去ることもなくよどんでいる。誰もが共有するあの時の体験を誰も口にしない。皆実も折りに思い巡らせては口に上すこともできず、同じく心の奥に押し込めて不自然を不自然のまま直視できずにいるひとりである。
これまで原爆をテーマにした漫画にせよ語りにせよ、多くはその根に怒りが感ぜられた。一瞬にすべてを奪われ、生きているかぎり苛む不安、苦痛を負わされて――、それらは怒りとしてぶつけられてきた。たわめられたその反発力は怒りのかたちでしか噴出しえなかったのだろう。語り口がいくら静かであろうと根底には怒りがあった。戸惑いも嘆きも怒りに置き換えてはじめて表に出すことができた、それほど重い記憶だったのだろう。
六十年がたってようやく、嘆きは嘆きとして、戸惑いは戸惑いとして、屈折した思いは屈折したままに語れるようになったのかも知れない。皆実から伝わる感情はやりきれない疑問であった。自分への疑問である。生きていることの、あの人間性が踏みにじられたあの時に自身もまた人間性を失ったことへの後悔と、そうした自分が許されないことの自覚と自責、そして少しの希望が入り交じって、やり場なく胸中を駆け巡っている。あの日のことを語ろうとしない誰もの胸に、同じ渦が巻いていたのではないか。語る前に口を噤む人たちは、人が背負うには重すぎる現実を無理に担わされていたと、ようやく気付かされたのである。
皆実はその重さを死によってようやく手放すことができた。ならその重みを次は誰が負うのだろうか。そのままに捨て去られてよい思いとは、私は決して考えない。
評点:5
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