シオン『がんばれがんばれ』(TEDN-285)
雨の日、父に駅まで送ってもらう車内で、この曲をはじめて聞いた。いつも何気なくつけられるラジオで流されていたこの曲に、日頃耳にする曲にはないなにかを見つけてしまったように、聞き入ってしまった。その時はまだシオンという歌い手のことも知らず。でも重苦しくしゃがれ声で歌われるこの曲は、がつんと心を打った。
慌ただしく降りる車から、この曲の名前と歌い手を辛うじて耳に留めて、けれど自信をもって言えるほどには憶えなかったため曲探しは難航した。電子会議室で聞いても実らず、知人に聞いてもわからず。けれど、何件目かのCD店でようやく探し当てることが出来て、もちろん迷わずに購入した。
田舎の母が、都会に出て一人頑張っている息子に宛てた言葉だろう。父を亡くしてから、一人うちを守る老いた母が見えるようだ。息子の子どもだった頃を思いながら発される言葉は、決して新しくもなくありふれたものばかりだが、それが染みとおってくるような力を持っていて、じんとさせられる。子に対して母というものは、いつもこうなのではないか。いつでも帰ることの出来る場所を残しながら、それでも突き放して、背を押してくれるのが親のありがたさなのではないかと思うのだ。
がんばれがんばれと応援する曲はたくさんあるけれど、そのどれもが元気を振り絞れと強いるように聞こえてくる。いっぱいいっぱいのところで踏みとどまるのが精一杯の時、頑張れという言葉はなんというプレッシャーになるだろうか。後戻りできない息苦しさで前進し続けなければならないのは、苦痛も苦悩も身を突き抜けるほど。心が壊死する経験だ。そんなときに、もしもつらければ休んでもいい、安らげる場所がいつでも自分を受け入れてくれると知ることは、どれほどの救いになるだろう。
疲れてくると、ふとこの曲を思い出す。聞いてはしんみりしながら、もう少し頑張ってみようと思う。また前に進めるような気がしてくる。
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