マッチボックス・トゥエンティー『マッド・シーズン・バイ・マッチボックス・トゥエンティー』(AMCY-7170)
マッチボックス・トゥエンティーが何者であるかも知らないままに、私はこのアルバムを買った。青いジャケットに奇妙な人物の絵が独特で、だがこれが通りすがりを呼び止め手に取らせるほどのものとは今なお思えない。今となってもなぜこのアルバムを買うことになったのか分からないでいる。
マッチボックス・トゥエンティーはロックバンドである。モダン・ロックに分類されるらしいのだが、こちとら残念ながらロックに関する知識は七十年代で止まってしまっている。だからうまく説明することができないのでもどかしいのだ。最高にクールだなどいう誰でも言うようなつまらない表現では全然足りないのに、どう言っていいのかが分からない。
むしろオーソドックスである。奇をてらったような音楽はここにはなく、真っ向勝負としか言えないまっすぐさで聴くものの奥まで突き抜け、そのまま空に吸い込まれていってしまうようなからっと乾いてすがすがしい空気が気持ちいい。私はこのアルバムをかけるたび、アリゾナかどこか荒野の中、真っ直ぐひかれた道路を一直線に駆け抜けていく感覚にとらわれる。ぎらぎらとした太陽が頭上にあって、ジーンズ、Tシャツの若者たちがガススタンド前にたむろしているようなハイコントラストな映像だ。迷いなんかなく、この道のまま走っていけば目的地にたどりつけると信じている、健全な無謀さの果てに成り立った旅路である。私はウォークマンにアルバムを詰め、大学への道すがらに、電車の中にこの曲を聴いて、湿っぽくつまらない今を走り抜けたいと思ったものだ。つまりロックというのは、昔も今も、今とは違う異質な世界を目指そうという強い意思の突き抜けた音楽なんだ。少なくとも当時の私はそう思っていた。
今になってもマッチボックス・トゥエンティーについてなにも知らない。しかし三年経ってなお、聴けば力強く打ちだされる楽曲は突き抜けて、変わらず高く青い大空が広がる。
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