この作品が作曲された1928年は、ヒンデミットが様式の転換期を過ぎて新たに独自の新古典主義様式に落ち着いた時期にあたる。様々な様式が折衷された表現主義的な時代を抜けたヒンデミットが目指した音楽とは、人間の生活、生き方に奉仕するものであり、そして均整のとれた秩序と客観性を重んずるものであった。ヒンデミットが教育劇やアマチュアのための作品をこの時期に多く書いたことは、すなわち前者の、人の生き方を豊かにする思想のためであり、これらは「実用音楽」と呼ばれる彼の非常な功績となっている。また後者、秩序と客観性を重んずるにあたっては彼はバロックの様式――対位法やバロック音楽で使われていた形式――に典拠を求めた。しかし彼の用いる和声はあくまで彼独自の拡張された調性と半音階書法に基づくものであり、ときおり現われる不協和な響きから生み出される鮮やかな語勢、彼特有の小節線を無視してなおいっそう際立つリズムの躍動感、彼の音楽には他に類をみない生命感にあふれている。この古きと新しきの折衷したところをもって、彼の様式は特にネオバロックと呼ばれている。
その彼独自の音楽の生命感は今夜演奏される作品47にも充分に満ちている。この作品は、様々な小部分の組み合わせからなる二楽章で構成されている。楽章をつくるそれぞれの部分は、三部形式やフーガという形式に基づきながらも、複雑に交錯する対位主題にそのつど異化され、新たな側面をあらわにしながら進行する。
第一楽章はSolo、Arioso、Duettと名付けられた三つの部分からなる。Soloはピアノソロによってこの楽章の主題が呈示される導入部である。Ariosoは新たに加わったサクソフォンの歌が美しい三部形式の小品であり、再現部で再び演奏されるメロディーは呈示部と同じものなのだが、中間部の動機を反復展開し続けるピアノの作用により異なる色調が生まれ、新たな息吹が感じられる。Duettで最後の楽器、ビオラが加わりSoloで呈示された主題が再現される。そのことがDuettに、それ自体が三部形式でありながら、三部形式である第一楽章の再現部でもあるという二つの性格をもたらす。第一楽章は三種の楽器をそれぞれ紹介する導入部であって、各部分によって構成される自律した複合三部形式の小品であるという、多義性を有しているのだ。
Potpourri(ポプリ、接続曲)という標題を持つ第二楽章は、それぞれが異なる性格を持つ四部分から構成されており、より対位法的な色彩を強めている。第一部分はサクソフォンによって呈示された主題が模倣され展開してゆくフーガ的小品であり、主題が再呈示されるやいなや駆動感をそのままに第二部分へと突入する。第二部分は対位法的な三部形式で、この部分を通じて繰り返される主題が、三部形式の二つの主題に密に絡み合い、かなり緊迫した状況に達する一つのやま場である。第三の部分に入りいったん落ち着きを見せながらも、ピアノにより呈示された主題はビオラ、サクソフォンによって楽器それぞれの役割を入れ換えながら繰り返され、音楽はなお高揚してゆく。ビオラ、サクソフォンのユニゾンがその推進力をもって、この楽章の終結部となる第四部分へと音楽を前進させる。第四部分では自由な即興めいた分散和音的フレーズに続き、ピアノと、サクソフォンのオブリガートを伴うビオラによってカデンツが奏され、ついにこの音楽はしめくくられる。その終わり方は複雑さを増しながら進行してきた第二楽章の中では逆に単純に、簡潔に過ぎるように思える。だがその潔さが逆に対照となって、この曲全体をめぐり張り渡されてきた対位法的緊張の際立った高揚をことさらに強く印象づけ、内容の充実していたさまを鮮やかに描いてみせている。