グレン・グールドというピアニストがいた。彼は紛れもなく20世紀を代表するピアニストの一人であり、そしてその中でも特異な人物として知られている。普通なら演奏家と切り離すことができないコンサートという音楽活動を否定し、一時を境にまったくコンサート活動から撤退したことは特にグールドを、その特異さからも、有名にしている。さらに彼はレコードやラジオ放送、映画、テレビ番組といった新しいテクノロジーやメディアとも切り離すことができない。彼はコンサートをドロップアウトした後、録音スタジオにこもり演奏活動をレコードに集約することによって、独自の演奏の世界を築き上げたのだ。また彼にまつわる逸話も数多く、演奏中に上げる唸り声や鼻歌、独自の演奏スタイルを支える低い椅子、グールドの好みに調整された古いスタインウェイ社製ピアノ、伝統に反抗するようにみえる独自の演奏解釈、など、によって彼の異彩は特に際立って見える。
一見散漫に、無秩序に思えるそのような特異な行動、奇癖は、彼独自の思想によって貫かれている。グールドは様々な方面にわたる著述、対談、インタビューを残しており、それらにはグールドの持つ音楽観、展望、意識が現われ出ているのだ。しかし、その思想を彼の独自のものといいきることは果たして妥当といえるだろうか。むしろグールドは、20世紀現代における音楽の在り方を意識的に洞察、模索し、その結果見いだされた結論を実践の場において確信的に行っていたのである。そのため彼の音楽活動からは、極めて現代的な音楽の在り方を示す、多くの要素が散見される。
この論文では、この様なグレン・グールドの音楽活動と音楽に関する彼の思想を追うことにより、音楽の現代的な在り方の一つの解答を探る。グールドのピアニストとしての履歴、グールドのピアニストとして以外の履歴、グールドとメディアの関係、グールドの音楽活動を支える彼の思想、を記述していくことを通して、グレン・グールドの音楽的近代を明らかにする。