現在における芸術の概念が形成されたのは、主に19世紀、ロマン主義においてであると言われている。それと同時に、芸術に対して付与されるイメージも、だいたいこの時期に形成されたようである。すなわち、芸術家が無から有を産み出す造物者として神格化されるのもこの時期であり、その作り上げられた作品が、世俗の諸物から独立した価値あるものとされるのもこの時期である。それはいわゆる「芸術至上主義」という考えである。
「芸術至上主義」が強く見いだされるのは、ロマン主義の初期段階においてからである。ドイツロマン主義を代表する作家E. Th. A. ホフマンの『スキュデリー女史 Das Fraunlein von Scuderi』は、芸術家が犯す殺人を描いた小説である。この芸術家は、孤高な創造作業を続けることによって民衆から賞賛を得るが、自らが生命を与えた金細工――作品に取りつかれ、自分の作品を取り戻すために殺人を犯す。しかし、殺人がばれ民衆に殺された芸術家は、神聖なる狂気の犠牲者である英雄、勝者として賛美される。
この作品から見てとられるものに、芸術家に帰属する作品、芸術家の非世俗性、芸術のために犯される罪への赦し、がある。特に第三者「罪の赦し」からは、芸術が一般社会通念を超えるものとして、見られていることがわかる。
この様な「芸術至上主義」が生まれたのは、ロマン主義が持つ性格に芸術が追従した結果である。ロマン派の時代は「英雄」を強く求めた「英雄の時代」である。ロマン主義が成立した時期は、フランス革命による英雄がクローズアップされた時期である。そして民族意識の高まりとともに自民族における英雄像が求められ、その民族意識とともにロマン主義も高揚している。そして、この民族の英雄として持ち上げられたのが、芸術家であった。ロマン主義において芸術家は、19世紀以前からの「独創性」および「天才」という概念により、そしてこの時代の個人、人間賛美とも結び付き、「限界を越える」というロマン主義的理想から、人間精神の最高の表れとして尊敬、賞賛されるようになる。この個人賛美、人間賛美という思想からは、神に対し常に下位存在であった人間が、神に対し対等であろうとする思想が見て取れる。結果、おとしめられた神の位置に、人間の理想である芸術家が位置することとなる。
そして芸術的な観点からは、純粋に美的であろうとした結果、芸術は現実から離脱し独立した領域にいたり、自己に固有の価値、美の実現が目的となることにより、芸術の目的は芸術自身となり、芸術は自律性を獲得する。また、芸術が日常的現実に対し上位に立つものと読み替えられたことにより、芸術は人間にとっての至上のものとなり、人生の諸価値、真実や道徳、は芸術に従属するものであるとする「芸術至上主義」、そして「唯美主義」を産み出す。
また、ロマン主義の考えとして、より進歩的であろうとする、将来、未来への指向性がある。これはロマン主義だけではなく、19世紀一般に見られる考えであろうが、芸術運動においてもこの思考は浸透しており、この担い手として芸術家は進歩的、先進的であることを要求される。伝統を打ち破り新しい技法、様式、表現目的を目指すという点において、その考えは進歩史観に基づいている。このため、芸術家は過去の作品や様式を超え、さらに新しいものを作り出すことを余儀なくされ、このことはまた前衛的な創作へと導く一要因である。
これらの諸要因は、結果として20世紀初頭の芸術が社会から遊離するという事態を引き起こし、芸術家は芸術の密閉された閉鎖領域の内部で、先達を超えるべく義務づけられる。これらに対する反動としては、特に大戦間と第二次大戦後に顕著に見られる、実験的な芸術運動をあげることができる。しかし、芸術のあり方すらを根本的に変化させるこの実験的芸術に至る直前にあった芸術には、この19世紀的なものを克服しようと、まさに19世紀的なあり方の中でもがいていたといえるだろう。結果そのことが、人間的な感覚からの離反、芸術の非人間化を行い、急激な芸術様式の変化を促したといえる。