Joyeux anniversaire! M. Mule!

 十九世紀半ばに発明された楽器、サクソフォン。しかしクラシカルサクソフォンの歴史の幕開けは、二十世紀に入るのを待たねばならなかった。いったんは歴史の影に埋もれようとしたサクソフォン。それが表舞台に返り咲いたのは、マルセル・ミュールという名手の手によってだった。これだけをみても、サクソフォンという楽器がどれだけ若いものであるかがわかるだろう。

 サクソフォンの発明された時代は、市民革命、産業革命を経験した市民の価値観が息づいた時代であった。機械技術の発達はより高度な工作を可能とし、科学的視野の広がりは音響学にも及んだ。この様な背景のもと、サクソフォンは合理的精神に基づき設計開発された。まさに近代の所産である。

 しかし、サクソフォンは発明された当初こそ、物珍しさも手伝ってか取り上げられたものの、以降は軍楽隊の世界に閉じこめられてしまった。まったく消えてしまったわけではなく、幾人かの愛好家の手により重要なレパートリーが生みだされるきっかけは作られたが、確固たる地位を確立するには至らなかった。近代の楽器であるサクソフォンは、自身に見合った近代的奏法が確立するのを静かに待ち続けていた。待たれていたもの、それがミュールだった。

 彼の功績は、充分に制御されたヴィブラート奏法をサクソフォンの世界にもたらし、彼の結成した四重奏団により、サクソフォンによる室内楽の地平を切り開いたこととされている。彼は精力的にクラシックの小品をサクソフォン用に編曲し、また様々な楽器用のエチュードを書き直すことにより、現在にまで至るサクソフォン音楽の地盤を築き上げた。しかしおそらく彼の真の功績は、このように文字に表せるようなものではなかっただろう。

 それまでも綿々と途絶えることのなかったはずのサクソフォン音楽が、ミュール以後に一気に花開いたのは、それだけ彼の演奏技術と音楽の存在感が際立っていたからに違いない。歴史をひもとけば容易に知れることだが、新たな楽器や名手が、過去になかった音楽の世界を拓くきっかけとなったことは珍しいことではない。その意味で、ミュールはそれまでになかった音楽の姿を、サクソフォンによって紡いだ最初の人物であった。当時の人間は、そのめくるめくサクソフォンの芸術に震撼し驚愕し、しかしついには感動を覚えただろう。その事実は、彼と彼の四重奏団に捧げられた楽曲の数々が証言している(楽譜の冒頭に注目するがいい!)。

 幸い、我々は彼の演奏の片鱗を、今も耳にすることが出来る。彼の残した録音は、どんな言葉以上に彼を語っている。そのミュールが生まれたのが、今日よりちょうど百年前の1901年6月24日。本日をもってミュールは百歳を迎えた。彼の百歳の誕生日に、偉大な先人と同時代に生きている喜びを実感できるのは、どれほど仕合せなことだろう。

 当時の光芒に思いを馳せよう。そして、今の彼におめでとうをいおう。


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公開日:2001.06.25
最終更新日:2001.09.02
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