伴奏をしてきた

 今日、伴奏をしてきた。仕事ではない。なんでか知らないがオカリナをやりはじめた母に、発表会があるから伴奏をしてくれないかと頼まれていたのだ。正直面倒くさかったが、よほどのものでないかぎり、こうした依頼は断らないようにしている。結局、なにをするにせよ、最後にものをいうのは経験の量であるからだ。たとえそれが簡単なものであっても、舞台に立つという経験は無駄にはならない。

 頼まれた伴奏は二人分、3曲だ。しかし、今回の伴奏はいつもとは勝手が違う。これまで私がやっていた伴奏は、音楽を仕事にしている人間が相手だったが、今回はまったくのアマチュアで、テンポは一定ではないし、途中で止まるかも知れない、そうした危険性をはらんでいる。おそらくは相手に助けられるというような状況は発生せず、逆にこちら側からは最大限のサポートを提供しなければならない。単純に簡単といえるほど単純ではないのだ。

 曲は難しいものではなかった。『浜千鳥』、『おもいでのアルバム』、『河は呼んでいる』。簡単に前奏と後奏をつけ、あとはコードどおり。しかし、本番でどんなトラブルがあるかわからない。余裕を持って対処できるよう暗譜をする。どんな状態からでも復帰できるよう注意し、また相手のテンポに添えるよう、速度を変える練習もした。こと、伴奏に限らず、できることはなんでもやろうという誘惑にかられることはあるが、今回はそれよりも余裕を持って弾けることが重要と、極力シンプルにまとめた。伴奏というものは、あくまでも添え物であり、主役を影から支えるものであるからだ。自分の役割をよくわきまえなければならない。それができない伴奏は、演奏者の足を引っ張り、音楽をめちゃくちゃにしてしまう。そんなみっともない真似をするわけにはいかない。

 伴奏は添え物とはいったが、それは軽視しての発言ではない。うまい伴奏は七難隠すという。本当に重要なのだよ。演奏しやすい環境を整え、盛り上げるにせよ、落ち着かせるにせよ、さりげなくリードし、場をコントロールする。もちろん、目立ってはならない、気付かれてもいけない。脇役、あるいは舞台装置とでもいえばいいか。一歩退いた位置から、演奏者のための場をマネジメントする。残念ながら私はそれができるほどうまくはないし、また経験も足りないのだが、それでも最低限は保証しなければならない。そういう意味では、本当に難しい仕事であると思う。

 今回使ったギターは、アストリアスのフラメンコギターだ。ドレッドノートではオカリナに対しギターが勝ちすぎると感じたため、フラメンコギターを選んだ。それは正解だったと思う。ただ、今日の最後にみなで『君をのせて』をやりましょう、そういって渡された楽譜、悪いことに伴奏は私一人。いきなりだが、なんとかぼろを出さずにはすんで、しかしこの時ばかりはドレッドノートがあればよかったと思ったね。合奏相手なら、ドレッドノートもありだろう。容易に負けない相手であれば、ドレッドノートで対抗するくらいの踏ん張りが欲しい。もちろんフラメンコギターが非力とはいわないが、アルペジオ中心の伴奏であれば、やはりちょっと引いた感じになる。場合によっては楽器の使い分けも必要、それはいわずもがな、当たり前のことだ。

 今日の伴奏が成功だったかどうか、それは私にはわからない。演奏者と、そして聴衆が決めることだったからだ。今日の評価がわかるのは、ずっと先になるだろう。また頼まれるかどうか。依頼者が増えるかどうか。それがすなわち私への評価であるのだ。


こととねギターサイドへ トップページに戻る

公開日:2008.05.03
最終更新日:2008.05.03
webmaster@kototone.jp
Creative Commons License
こととねは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 2.1 日本)の下でライセンスされています。