先日歌ってみたら、思ってた以上に駄目になっているという現実を直視する結果に終わってしまい、なのでそれからソルフェージュ練習中。テキストは『ダンノーゼルのソルフェージュ』。昔使っていたものを、再びやり直しているというわけだ。ギターを抱えて、ひとつひとつ課題をこなしていって、なんでギターを抱えるかというと、音をとるのにギターの助けを借りているから。基本的には無伴奏で、怪しくなったらギターでメロディを弾きながら、そうして思ったのだが、これはギターにおける読譜練習になる。ぱっと譜面を見て、そのとおりにギターを弾く。それが思いのほかギターの練習になるようで、なんでもやってみるものであるなあと感心中だ。
感心しているのはよいとして、ただ読譜練習になるというだけの話ではないようにも思う。これはおそらくは気のせいなのだけれど、自分自身が音を発するということに対して意識的になるからか、ギターの音も豊かになっていっているように感じる。いや、なんだかこじつけのようじゃないか。だが、そう感じるのだから仕方がない。明瞭な発声を意識して、それに引きずられてかギターも明瞭な発音をするようになる、いや、明瞭な発音をするよう弾き方が変わっているのかも知れないね。ともあれ、プラセボだかなんだかわからん話だが、弾いている人間がなんかいい感じだと思っているのだから、やっぱりこれはいいことなんだろう。
思わぬ副産物。ギターの練習時間は減ったかも知れないけれど、ギターにおいても大切なことを取り戻しつつあるように感じる。