職場の最寄り駅駅前、商店街にさしかかろうとした曲がり角、道の脇に、荷台にギターのケースをくくりつけた自転車が止まっていたのだ。ギターケースだけじゃなくて、空き缶の入った袋も一緒だったから、お、これは空き缶拾いのおっちゃんがギター弾いたりするんだと独り合点して写真を撮っていたら、後ろから咎めるようにして話しかけられた。
兄ちゃん、わしの自転車、なに写真撮ってんねん。
いや、ギターがあるのが格好ええなあって思って、自分もギターを弾くものだからと答えたら、兄ちゃん、ギター弾くんか。そやったら、ちょっとこのギター見てもらえへんか。今朝拾ったんや。という話。いいですよと快諾、だってどんなギターなのか興味津々だったから。
荷台にくくりつけた紐を解いて空き缶の袋をどけて、待ちきれず私は、ほな開けますね、ケースの留め具を外してふたを開けた。そうしたらそこには結構きれいなーギターが。表板塗装面には軽くクラックが入っていて、この割れ方はラッカーチェックっぽい。指板はローズウッド。ヘッドを見ればごついバッファローヘッドにHarptoneというロゴがあった。
Harptone。残念ながら私は知らない。おっちゃんが、どうやどうやとせかすのを、ちょっとこのメーカーは知らんからといなして、ロゼッタに顔を近づける。トーンホールを見ればその楽器の表板が無垢板か合板かがわかる。木目が通っている、無垢板だ。おっちゃん、ギターの表の板は合板が使われてたりするんは安かったりするんやけど、これは一枚板やわ。悪ないと思うで。
ネック持って楽器を引き上げ、側板はメイプルあるいはシカモア? 白い材だ。多分メイプル。裏板を見れば、フラットトップだというのに軽くアーチがつけてあって、おっちゃん、裏がちょっとまるうなってるやろ。手がかかってるわ。悪ないで。
トーンホールから中をのぞき込めば、ネックブロックにMade in USAとある。アメリカ製や。ラベルにはHand Crafted。まあ、これですなわち手工品とはいえないけれど、そこそこは手を加えて作ってるのだろう。おっちゃん、このギター古いもんやけど、悪ないで。
ただ、問題はHarptoneという聞きなれないメーカー名。私にはどうしてもこの楽器の位置づけがわからなかった。楽器の全体の雰囲気も王道から少しビザール寄りといったら悪いだろうか、でもそういう感じがしたのだからしかたがない。けれど、この手の楽器を好む人というのも間違いなくいるのだ。
おっちゃんは、アメリカ製か、古いギターを持つんがええんちゃうんか、二十万いくか、十万か? とえらくエキサイトして、残念ながらよっぽどいい出物でないと十万とかはいかんもんですよと説明して、そこでおっちゃんは買ってくれと攻勢に出た。
あかんねん。今千五百円しかもってへんねん。空き缶の集積所にいったら、多分七八千円で売れる。五千円でどうや。いやあ、手持ちがあったらええんやけどなあ。ここで、そばの銀行の扉が開きはじめた。ほら、この銀行でお金下ろしたらええやんか。いや、けど自分もう仕事いかなあかんし、今日はここまでということで。
退散した。
Harptoneはレア中のレアもの。激レアのギターだそうだ。ビートルズのギタリストだったジョージ・ハリスンがバングラデシュコンサートで使ったのがきっかけとなって知られるようになったらしく、当時は結構人気があったのか、ヤマキあたりからコピー品が出ていたりしたようだ。1970年代から1980年代にかけて作られていたらしく、ということはもうメーカーはギターから撤退したのだろうか。
Harptoneギターの情報はあまりに少なくて、だから相場がどうとかはわからないのだけれども、70年代のE-6Sというモデルが16万円で取引されていた形跡を発見して、そうかあ、おっちゃん、いい値で売れたらええなあ。
しかし、つくづく惜しいのは、あの時五千円という金を持ってなかったことだ。あれば絶対買っていた。むらむらと沸き起こる山っ気を抑えることができなかったのだが、ない袖は振れない。
ここで最高のシナリオは、今日どこへいっても相手にしてもらえなかったおっちゃんが、最後の望みをかけて明日朝、私を待ち受けているというもの。そうしたら私は五千円払って買うだろう。おそらくこの場合、Harptoneは私のコレクションになる。
次善のシナリオは、おっちゃんがとにかく金を手にできるということ。これはおっちゃんのためだけではない。ギターのためだ。おっちゃんには価値がなく、私には縁のなかったギターだが、世の中にはこのギターを探しているという人もいるだろう。そして、なによりこれが一番大切なことだが、ギターはまだ死んではいないのだ。まだまだ弾けるギターだ。そうしたギターがむざむざとゴミになるなんて許せない。だから、とにかく五千円でも一万円でも、おっちゃんにちゃんと金が支払われることが大切だ。なにがしかの対価を支払ったからには、その元を取るべくギターを再び流通に乗せてくれるに違いない。ならば、再びギターの楽器として息を吹き返す可能性もあるだろう。私はこの展開を望んでいる。
最悪のシナリオは、書きたくもないのだが、誰もギターを引き取ってくれないケースだ。自暴自棄になったおっちゃんはギターを捨ててしまう。そうなれば、もうどうしようもない。せっかくのギターがただの木屑になってしまう……。
一応そうならないように、アメリカ製で悪くないギターであること、こういうギターを集めてるような人は絶対いるといってあるのだが、はたしておっちゃんが覚えてくれているか。そしてもし誰も引き取ってくれなかったら、私のことを思い出して待ち伏せして欲しいものだと思う。私を思いだしてくれなくてもいい、いつかそのギターが、おっちゃんの一財産に化けてくれるだけでも私は構わない。とにかく、ギターが生き延びてくれることを祈るばかりなのだ。
ギターの写真を撮ってないので、ここは記憶で書く。
おそらく塗装はラッカー。ネックにもめだった反りはなく、全体によいコンディションを保っていたと思う。おそらく弾かれないままにしまい込まれてたのだろう。だから、音の抜けは悪いかも。
フレットには少しサビが出ていた。ペグ(カバードタイプ)にもくすみが出ている。フレットはかなり幅の広いタイプだった。