シリーズ La vie avec iMac (Mid 2007)

ショックなこと

私の使っている日本語入力ソフトは、egbridgeという、老舗のソフトウェアであったのですが、1月28日をもってパッケージ事業を撤退したとのこと、つまり私が今こうして文章を打っているこれが、ラストバージョン。もうこの次は出ません。

ショックですね。IMの癖というものは馬鹿にできなくて、その出てくる文字種から変換時の感触、ショートカットもろもろ、すべてが指に直結している、そういうものだと思います。それが失われる。私の日本語に触れる接点がひとつ消えた、そう表現してもいいかも知れない、そんな実感を得ています。

けれど、実は危ないんじゃないかと思っていた。というのは、そういう事情がおぼろげながら漏れ聞こえていたから。だから、買えるうちにegword、ワープロソフトも買っておいたらよかったんだけど、きっと次があると信じたいばかりにそれをしなかった。そして私はエルゴソフトの、他のなによりも日本語に特化されていたというワープロに触れることもなく終えるのでしょう。

私が昨年末に万年筆を買い、文章を書くことを、コンピュータ上から筆記、手書きに戻そうとしはじめたのは、egbridgeに関する不安が実現する可能性を考えたからでした。egbridgeがなくなれば、私はもうコンピュータを文章のプラットフォームとはしない。私の文字は、句は、文は、手により、ペンを伝い、紙の上に成る。egbridgeがなくなれば、そうするほかなかろうと思っていたからです。

コンピュータは脆い。成熟していないがゆえに可能性があり、しかしそれゆえに簡単に消えていくものもある。万年筆は旧い時代の道具で、もはや一線を退きはしたものの、この先も消えることはないでしょう。考えたくはないことですが、私の愛するパーカーが廃業することもないとはいえない、けれど万年筆の火は消えない。しかし、コンピュータの、日本語入力ソフトウェアは、ことMacintoshにいたっては純正のことえり、エルゴソフトのegbridge、ジャストシステムのATOKしかないわけで、そしてそれらはそれぞれ他者の代わりにはならないのです。

次のOSバージョンアップで、egbridgeは使えなくなるかも知れません。使えても、不具合が出て、使いづらいものになるかも知れません。そうなると、私にはもうことえりしかない。ことえりは、漢字Talk7.5で愛用していました。いずれ慣れるでしょう。けれど、多分私はegbridgeの感触を忘れない。

ああ、悲しいことだなと思います。記憶がいつまでも濃厚に残るということは不幸でもある、そうしたことを実感させます。

(初出:2008年1月29日)


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公開日:2008.01.29
最終更新日:2008.01.29
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