こととねはさいしょ、雑誌になろうとしていたのでした。当時、ぼちぼち出始めていたオンライン・マガジンの末席に加わろうとして、ちょうどはじまったSo-netのu-pageサービスに後押しされるかたちで、企画が立ち上がったのでした。1997年のことです。
毎号ひとつのテーマを決めて、そのテーマに関する特集記事とインタビュー、そして連載のコラムを、できれば月一本のペースで出したいと思っていました。そのために同志を募って、開始時には二人の協力を取り付けることが出来ました。自分も含めたこの三人で連載と特集記事を分担し、英語版も用意する、できれば仏語独語版も用意したいと思っていたのでした。
雑誌が基本的に扱うのは「言と音」という名が表しているように、音楽に関する話題です。音と音が関係付けられて音楽になるように、人と人が関係して出来上がるコミュニケーションのおもしろさを取り扱いたいと思っていました。それゆえに、音楽の素材のもっとも基本的な要素である「音」と、コミュニケーション手段のひとつである言葉の基本的な要素「言」を、サイト名に選んだのでした。
第一回のテーマは「出会い」でした。大阪音楽大学教授の中村孝義氏から伺った、氏と音楽との出会いが、非常に意外性に富むおもしろいものだったので、これを生かしたいと思ったのです。
テーマが決まり、特集記事の企画も決定しました。日々音楽を日常のものとして接している音楽大学の学生に、自分と音楽との出会いに関するアンケートをとったのです。なるたけ学年が偏らないように、数少ない知人を動員してアンケートを配りまくりました。回収は四百を越えたでしょうか。万全とは言えないでしょうが、なんとか使える数字だったと思います。これを表計算ソフトに入力し、グラフまで書き出せる準備を整え、後は記事待ちという段階まで進んでいたのです。
しかし記事が出来上がらなかったのです。自分の割り当てはインタビューと連載コラムでした。特集記事は、別の人間が担当です。アンケート結果とすべてのアンケート用紙を担当者に渡して、しかし彼女も決して暇ではないのだから、強く催促は出来ません。なにしろ無償の、まさにボランティア活動だったのですから。この自分の、押しの弱さが災いしました。
原稿は強く催促しないと出ないと、人からはアドバイスされていました。ですが、やんわり催促するのが関の山。見切りで公開されたこととね第一号は、結局予定されたすべての記事を公開するに至らず、そんな状態ですから第二号につながるわけもなく、ポシャったのです。
最初のこととねは、こんな感じで、死産に終わりました。ですが、その時の名残は意外とたくさん残っています。
こととねのトップページに掲げられているタイトル画像に、英仏独語による訳名が付されているのは、こととねをいずれは四カ国語で展開したいという思いの現れでした。
最初のこととねのトップページに掲げられていた文章は、「こととねのこころね」として、その後も公開され続けています。これには英語版も作成されていたのですが、それは現在はおくらになっています。
アドレスの「このページへのご意見はsnowdrop@ta2.so-net.ne.jpまでお願いします」という、非常にぎこちない表現は当時のままのものを使っています。本当は、もう少しましなものに変えたいと思っているのですが、あえて変えずに使い続けています。
著作権表示 "(C) Copyright 1998, 2000-2001 KototoNe editorial department. All rights reserved." に見られる "KototoNe editorial department" つまり「こととね編集部」というのは、まさに最初のこととねが雑誌を目指していたということの名残です。現在はオンライン・マガジンというにはほど遠い様相ですが、結構この無責任な響きが嫌いではないので、これからも変えるつもりはありません。
他にも探せば、ちらほらと出てくるところはあるでしょうが、現在のこととねは最初のこととねとは大きく違うものになっています。最初の試みが失敗したのは手痛いことには違いありませんが、それはそれで楽しかったし、得たもの学んだものも多かったので、これでよかったのだと思っています。負け惜しみじゃなくて。