夏が、夏が終わってしまう――、といっても、別に私は夏の終わりがくるたびに恋の終わりを思い出すのかしらね
、グッバイマイラブ
、なんてことはないのであるが、しかし夏になれば『Lの季節』だけはどうしても思い出さないではおられないようで、そうして今年も思い出した。
『Lの季節』の物語から読み取れる諸情報を頼りに、物語上の矛盾や疑問を解決しようという企画「彼女の場合」が滞っている。星原の場合「なぜ彼女は彼女の名を呼んだのか」。私はこの文章を書きかけのままにして、だがそのことを忘れたわけではないのだ。ハードディスクには、この問題を明らかにするための文章断片がクリップされており、文章全体の構想も結論もできている。だから後は書くだけ、というこのだけが難しい。
夏になれば『Lの季節』を過ごした最初の夏を思い出し、伴い星原の場合も思い出す。書かれた内容は常に参照可能となるよう、印刷してひとつのファイルにまとめてある。関連資料もしかり。八月を目前として、私は最新の記事をファイルに加え、すべての資料を読み返した。この先を続けようと思い、新たな章を開く文章を考え、そしてそれができあがらないうちに八月が終わってしまった。
書き終わることで、私にとっての『Lの季節』が終わってしまうことを怖れているのだろうか。しかし重要なのは、星原の場合「なぜ彼女は彼女の名を呼んだのか」は企画の最終文書ではないということである。まだ解決されていない疑問や矛盾は残っており、追求しなければならないこともまだまだある。だから、星原をめぐる最初の疑問に対する検討を終えることは、『Lの季節』の終わりを意味しない。むしろそれは新たな始まりとなるはずで、だがその始まりはいったいいつのことになるだろうか。
プレイしさえすれば、あの夏の空気は否応なくよみがえり、私の意欲もきっと取り戻される。しかしそれがいつであるかは杳として未だ知れない。